ほっとけない 世界のまずしさ


畑中正人の日記、2004年掲載分です。

2004年ベルリン映画祭タレント・キャンパス参加日記



2004年12月の日記

2004年12月31日、2004年も終わります。今年も皆様には大変お世話になりました。
ありがとうございます!
今年はドイツからの帰国など、色んな動きがあった1年でした。
そして来年は作曲活動をはじめて15周年。今まで以上に精力的に活動していきます。
来年も宜しくお願い致します。

それでは、佳いお年を!


2004年12月15日、イリからクリスマスメール。もうそんな季節か・・・。
ハンブルクはもうかなり寒いのでは。ハンブルクバレエも今が忙しさのピークのはず。
昨年末に見た「くるみ割り人形」でのオットーの壮絶な舞台裏を思い出します。

先日、booxboxの田原さんと来年の公演の事について電話で打ち合わせ。

2004年12月10日、先日、以前音楽を依頼されていたジリ・ヴァンソンさん初監督映画の打ち上げ
に参加。仕事があったので顔を出した程度でした、残念。今回は即興で演奏したピアノ曲とヴァン
ソン氏ご本人作曲のテーマ曲のピアノアレンジ。普段やった事ないような曲調だったので勉強になった
し、 面白かったです。何はともあれ皆さんお疲れさまでした!
映画のサイトも出来たようなので、御興味のある方は是非。
そういえば、インフルエンザの予防接種を受けました。皆さんも体調にはお気を付けて!


2004年11月の日記

2004年11月28日、最近CDが売れないという話題をよく耳にしますが。
よくよく考えたら、そもそもレコード会社は音楽でどのくらい儲けたいんですか。

むしろ、それほどまでに巨額の収益を得ていた時代の方が異常だったのでは?

CDが売れないという音楽文化的な嘆きというよりは、
曲の権利ビジネスで食っている人たちが困っているという意味にしか聞こえない。

確かに作る人がいて、それを売込んで下さる人がいて、店頭で買って下さる人がいる。
個人じゃあり得ないチームプレイです。
でもその環境を当たり前と、あぐらをかいていた作家側にも責任がある。

買い手は基本的に自分が好きな音楽を求めている、そして買っている、ただそれだけ。
CDが売れないのは絶対に買い手のせいじゃない。

CDがなくなったって、音楽がなくなるわけじゃない。
CDが聞きたいんじゃない。「音楽」を聞きたいだけ。

いい曲はいつまでも生き続けます。

CDに飲み物とか食べ物をくっつけて売っている場合じゃないはずです。
半年後には忘れられる使い捨て音楽商品を大々的に宣伝している場合じゃないです。
単純に収益だけを追求したいのであれば、このご時世仕方ないのかもしれませんが。

作家である以前にひとりの音楽ファンとしてはっきり言います。
景気のせい、マーケットのせい、はたまた買い手のせいにしているのは、絶対に間違いです。


2004年11月18日、新作のためのプリプロ作業中。
自分がやってて気持ちいいリズムと音色をうまく混ぜる瞬間は偶然であり、 後で聞けば必然だったり。
それにしても、シンセ(といってもソフトシンセ)の音色作りは昔から変わってないっす、耳が。

2004年11月17日、自衛軍の設置に、天皇は「元首」へ。ある程度予想していたとはいえやっぱり
日本はこうなるのか。でもまだ素案みたいだけど。
http://www.asahi.com/politics/update/1117/004.html
これからも日本は政治家だけで大事な事を何でも決めていく国なんですね。

2004年11月10日、先週ベルリン映画祭で知り合った映画監督のとしさんと新宿で再会。
現在としさんはイタリア在住で今回は一時帰郷ということで、二人で「新宿はいかがわしい」を
連呼しながら新宿をぶらついたり、お茶したり。実は現在共作の案を練っている最中でもあります。
どんなものになるかは、お楽しみに。

そういえば17日からドレスデン(ドイツ)でCYNETart04が始まります。今回はハンブルク滞在中
に制作したear opener 2が会場のaudio roomで終日展示再生されます。日本からの参加はほとんど
いないはず(たぶん)。何より都合で会場に行けないのが悔しい。ドレスデンは行った事がないので
なおさら。今回オフィシャルの資料作りなどで現地のスタッフの方々にはお世話になりました。
心から感謝申し上げます。

昨日ハンブルクバレエのHeatherよりお手紙と写真が送られてきた。
写真は昨年、これまたハンブルクバレエのSilviaの誕生会でのもの。懐かしいな。
それにしてもSilviaは顔小さいなー。Heatherは美しすぎる。
僕の中でHeatherは銀河鉄道999のメーテルです。

来年の日本ツアーで皆に会えるので今から楽しみ。
これからの季節、どこのバレエ団も凄い日程だろうけど、怪我しないように頑張って!

2004年11月2日、今年も来月で終わりだ。
いやー来年で30歳か、やだなー。
ま、見た目と歳が一番合致するといえばするんですが。

先週末、少々風邪にやられました。
北海道出身とか、あんまり関係ないです。ひく時はひくんです。

それにしても先週終わりまで色んな人に会うわ会うわ。東京以外にも札幌や海外から次々と御連絡を
いただき、連日人に会っていました。やはり人と会うのが大事な仕事とはいえ、これほどまでに連日
会い倒すというのも久しぶりです、楽しかった。

というわけで伸びに伸びていた新作のためのネタ集めをはじめました。
ま、頭の中であれこれ音を考えている時間の方が多かったりするんですが。そういえば整理していな
かった頭の中の引き出しをあっちこっち引っ掻きまわしています。
次回作はリズムに注視したものになる事は間違いなさそうです。
思えば数年間、あえてその距離を保ってきたクラブシーンとも関わりをもつ事になりそうです。
それでは、また。


2004年10月の日記

2004年10月22日、先日田原洋朗さんと久保俊哉さんに東京でお会いました。
田原さんとは初対面。以前web上で偶然にも知り合って以来こんなにも早い段階で御会いできるとは
思いませんでした。とても優しい方で、でも内に秘めた宗谷支庁特有のストイックさを感じました。
やはり同じ種類の血なんでしょうか。御一緒に仕事ができる日が待ち遠しいです。
久保さんは99年のメディアハンティングで御会いして以来のおつき合い。札幌のICCやショートショート
フィルムフェスティバルなど、現在の札幌のシーンには欠かせないプロデューサーです。いつもアドバイ
スをいただける僕にとって貴重な存在です。久保さんから何人かの方にご紹介いただき(お名前を載せて
いいものかわからないので、今回はふせておきますが)色々と貴重なお話が出来ました。ありがとうござ
います!それにしても台風はひどかった。丁度東京の雨がピークの頃、外にいました^^; 雨が下からも降
って(はねて)くるなんて初めての経験です。あそこまで強く降るともう笑うしかない。実際外にいた人
たちは笑いながら、女性はキャーキャー言いながら走る。まるで子供のようでした。
もういいぞ!!!台風来なくても。


2004年10月19日、7人に1人が新札発行を知らんと。
というか、そんなの別に知っていたからってねぇ。
新札で景気が上がるんなら・・・。
販売機とか機械類が新札に対応するコストでかえって景気が悪化しないんですか?
素人考え?

どうせ新札作るなら5万円とか10万円札にした方が効果がありそう。
これなら券売機や販売機も対応する必要ないし(まさか5万円でジュースは買わないでしょう)。
銀行窓口とか、家賃を払う時とか、高級ブランド店、飲み会でも重宝しそう。
素人考え?
ま、どちらにしろ自分にはあまり関係のない話しです・・・。

2004年10月13日、hybridのアンディが参加したグループ展を見に北青山へ。家から近いくせに先日
のドえらい台風のせいでオープニングに行けなかった。ごめんね、アンディ。でも不思議なもので、
会場周辺をぶらついていたらアンディに声をかけられる。何となくにいま行かないとだめだと思って
いたらそういう事か。展覧会も面白かったです、って今日が最終日。もう少し早く行っておけばよかっ
た・・・。

そうそう、先日の台風が通過した翌日、無事フィクスの西岡さんと再会。2人で池袋をうろつくという出
会った頃には想像もつかなかったシチュエーション。思えば10年前、まだ僕が学生だった時からお世話
になっている大先輩です。久しぶりに色んな話ができて嬉しかった。
でも10年!?そんなになりますか・・・。ちなみに同じ会社には姉キ分と呼べる方もいます。このお2人
がいなければ確実に僕はただのキワモノミュージシャンで終わっていた。僕にとっては本当に貴重で有難
い存在です。今度札幌に行った時はスタジオにおじゃましますので。

久々に(3年ぶりくらい)サウンド&レコーディングマガジンを購入。ジャケットがビョークだったの
でつい。久しぶりに読んだら面白かった。90年代初期までには結構愛読していたのだが、昨今のコン
ピュータ&デジタル・ブームの過渡期で勝手に少し敬遠していた。ああいう雑誌をペラペラっと見れば
何か音楽が作れるわけじゃないけど、情報源としては時には重要。時々自分は本当に音楽好きなんだろ
うかと自問する事があるけれど、外部からの刺激や情報はやはり大事ですね。
音楽は・・・好きに決まってるべや。


2004年10月9日、HPに続きメールアドレスも無事復活。度々御迷惑をおかけしました。

いま東京は暴風域に入りました。
窓から六本木ヒルズも見えません。
実は僕はあまり台風を経験した事がありません。本当にひどいものです。
本当は今日は札幌から恩師が上京されているのですが、今夜の予定は急遽中止。
明日の日中に会う事になっています。
その後は仕事の関係で渋谷のレコーディングスタジオを見学してきます。
現在ピアノの録音ができるスタジオを探しているためです。

それでは、台風にはくれぐれもお気を付けて。


2004年10月3日、ここ数日HPがダウンしておりました。御迷惑をおかけしました。
とりあえずは、なんとか復活です。 でもまだinfoアドレスなどは使えないようなので、
個別にお知らせした皆様には暫くの間メールはyahooのアドレスに送信していただければ幸いです。

昨夜は4年ぶりに大友良英さんのライブを見に下北沢へ。今回はイクエ・モリさんとのデュオでした。
いや、やっぱりスゲー面白い。大友さんもイクエさんも素晴らしい演奏でした。
ああいうクオリティーの高い音楽こそ、本物を見るべきだと痛感。
今回はあまりゆっくりとお話する時間がありませんでしたが、久々に御会いできてよかったです。
それにしても下北は面白い街です。今度ゆっくり来て一日色々と探索してみようっと。
という事で、今日の東京は雨。家でのんびりと、仕事します。


2004年9月の日記

2004年9月26日、昨日無事東京に戻って参りました。24日のイベントは無事終了です。
本当にリハーサルではどうなる事かと思ったんですが、本番さえうまくいけばよしです。
昨日の午前中は唯一自由時間があったので、久しぶりに札幌をうろつきました。
久々に地下鉄南北線に乗って、澄川へ。そこで大好物の「ろまん亭」のチーズタルトを
おみやげに購入。食べたいのを我慢して一路千歳空港に向かいました。羽田に到着後は一旦家に荷物
を置いてそのまま外苑前まで打合せに直行。

本当にバタバタの札幌でしたが、何人かお世話になっている人や友人に会う事ができました。
行ってよかったです。さて、今日は少し作業場の掃除をしなくては・・・。

追伸:このHPのトップページを書いていただいた絵師の杉吉貢さん、奥様、僕にとって札幌の父とも呼べるNMAの沼山さん、
そして北海道舞台制作でPAをやっている同級生の能登君。わざわざ時間をさいて会っていただいてありがとうございました。


2004年9月18日、Newsのコーナーでもお知らせがあるとおり急遽9月24日札幌でのイベントに参加
させていただく事になりました。
昨日オファーをいただいたばかりなので、詳しい事は僕も把握しきれていません^^;
以下当日の情報です。

エリー・リン”ボタニカル・ファン・タス・モ
2004年9月24日(金) 会場:ジャスマックプラザ5階ザナドゥ(札幌市中央区南7条西3丁目)
pm 6:30 open / pm7:00 start / 5,000 yen(税込)[台湾スウィーツ付]
主催:FMノースウェーブ 
協賛:トゥー・ウイッシュ・スタイル
協力:ノース・ハート・プロスピリティ、札幌花き園芸、第一生花
後援:ジャスマックプラザ
企画:ウエディングスビューティフル札幌
チケット取扱:ジャスマックプラザホテルフロント、大丸プレイガイド、 ローソンチケット
お問い合せ :ウエディングスビューティフル札幌


もしもお時間ある方は是非いらして下さい。
ただあまりにも急な事なので、今回は札幌で誰にも御会いできないんじゃないかと心配です。
それにしても、こういう形で札幌に行くとは思ってもみませんでした。嬉しい限りです。
もしも札幌市内でうろついている姿を見たら気軽に声をかけて下さい。それでは!


2004年9月14日、人の縁とは本当に不思議なものです。7月の日記で昨年亡くなった私の恩人であり
大変素晴らしい編集者だった西村英樹さんの事を書いたんですが(2004年7月23日の日記参照)、
その後西村さんの足跡を辿るようなつもりでWEB上を探索していたところ、
北海道で(しかも私と同じ地宗谷支庁出身です)でコンテンツ・プロデュースをやっておられる
田原洋朗(有限会社ブックスボックス取締役)さんという方のサイトに西村さんの事が書かれていました。

西村英樹遺稿集「バックミラー」が届く
http://booxbox.cocolog-nifty.com/review/2004/08/post_1.html

そこにはなんと私のことにも触れて下さっており、これは何としても御連絡しなければいけないと思い、
メールをお送りしました。 そうしたら何と、実はずいぶん近い所ですれ違っていたようで、共通のお仕事
仲間や友人もいました。しかも私は浜頓別出身、田原さんは利尻、
亡くなられた西村さんは礼文出身。
本当に人の縁は不思議なくらい狭いです。・・・結局西村英樹さんにはお世話になりっぱなしです。

また、その不思議な出会いの後、大変有難い事に田原さんのログに私の事が載っていました。
http://booxbox.cocolog-nifty.com/yoro/2004/09/post_4.html
田原さん、ありがとうございました。
私はまだまだ半人前のはしくれですが、今後とも宜しくお願い致します。

田原さんのサイトは興味深い内容ばかりです。リンクも貼らせていただきました。
皆さんも是非御覧になって下さい。


2004年9月7日、過去の遺物フロッピー
確かに今は使っていない。先日実家で昔の曲のデータを整理していたら数枚のフロッピーが出て来た。
読み込むハードがないので、どんなデータが入っているか確認する事すらできなかった。
でもいま使っているCD-RやDVDも将来はどうせ使えなくなる。その度に新しいメディアにバックアップ
していかなければいけない。
そんな不安定なメディアに自分の音楽を保存し続けていると思うと、うすら寒い。
音楽は人の前で演奏され、記録もされずにその場で終わる。結局それが一番いいのだろう。

2004年9月2日、御無沙汰です。やっと里帰りしてきました。北海道へ行く事自体2年半ぶりです。
今回は日程の都合で札幌には行けませんでした。残念。それにしても、浜頓別町は遠い!!
というわけで今回は道北周りという内容のため、行きも帰りも旭川空港という初めてのパターンです。
やっとお互いの両親にも顔も見せられたし、お墓参りも行けたし、親戚にもご近所にも挨拶にできたし、
地元の友人たちと酒も飲めたし、とてもいい時間を過ごせました。
今回は親の車で
長距離ドライブ。オホーツク経由で久々の稚内、きちんと樺太まで見て、日本海側を通
って利尻富士を拝み、別の日には網走まで行くという長距離ドライブ。父に感謝です。
それにしても我が故郷浜頓別町は来年には中頓別町、猿払村と合併するらしい。まだ新名称は未定みたい
だけど、な〜んか複雑な気持ち。まさか、自分の生まれた町の名前が変わるなんて、これも時代の流れな
んでしょうか。浜頓別にいる間に園歌を書かせていただいた幼稚園に立ち寄った時も(なんと、園児たち
が園歌を歌ってくれました!!かわいかった〜)その話しになりました。せめて地域の名称として浜頓別
の名前は残してほしいと思いました。しかし、今やその幼稚園にも同級生の子供が通っていて園歌を歌っ
ていたりしているし、知らないうちに時は流れているんです。少しでも地元に貢献できるような人間にな
れるように頑張ります。
しかし、それにしても、北海道の食い物はうまし。
滞在中は両親、親戚、友人の皆さんには本当にお世話になりました。ありがとうございます!!


浜頓別のベニヤ原生花園。晴れた浜頓別は久しぶり!



宗谷岬よりサハリン。海面と雲の間にうっすらと陸が見えます。


利尻富士、イエス!





幌延町のトナカイ(なぜか)。テンションの高い方。







テンションの低い方。



追伸:今日、羽田空港から都内の自宅へ帰る途中、Tシャツの上からブラジャーを付けて歩いている女性が
いました。あれって流行ってるんですか?ピーコさん。


2004年8月の日記

2004年8月15日、お盆です。仕事してました。
御先祖様、お墓参りに行けなくてごめんなさい。今月末には必ず行きます。
東京は久々に雨も降って、涼しくなりました。ちょっと寒いね、なんて言えるのが嬉しくて。
暦の上では夏も終わりになるわけですが、今年は油断禁物です。
みなさん、体にはくれぐれもお気を付けて。

2004年8月11日、先日の非通知でワン切りの件ですが、早速友人から連絡が来て
対策法を伝授してもらいました。早速試します。ありがとう!!


2004年8月10日、非通知でワン切りするのって何か意味あるんですか?
しかも深夜に。
どうすりゃいいんだ?まぁ、ほっとくしかないけど。


2004年8月7日、東京は最近余震が多い気がする。先日も表参道の交差点の一部が陥没してたし、
そろそろ地盤がおかしくなっているんじゃないかと錯覚してしまう。
ここ最近、自分自身の事も含めて人間の作為性にどうも興味をそそられない。
自然が起こす現象に比べれば、人間のできる事なんて本当にちっぽけだ。
それでも、今も世界のあちこちで人間の自己主張が繰り返されて、歪み合う。
地位と名誉と金が今のもろい世界を支えている。
人間てのは本当に何をしたくてこの地上に現れたんだ?
結局、人間の勝手な作為性がこんなに住みにくい星にしてしまったんじゃないのか。
悠長に音楽なんか作っている場合じゃないのかもしれない。


2004年8月1日、もう8月ですか・・・。
それにしても今夜のジダンのゴールには凄すぎて笑ってしまいました。後半での怪我が心配ですけど。
それはそうと、サッカー・アジア杯の会場、中国の重慶で反日的な観戦が問題になっているみたいですね。
一部の人たちなんでしょうけど、、、なんでこういう事は終わらないかなぁ。
といっても日本人サポーターもW杯の時にずいぶん他国にブーイングしてましたけどね。
地球上のあちこちでいがみ合って、憎み合って・・・。
普通にサッカーを見ろよ。


2004年7月の日記

2004年7月29日、龍口春雨 四川風麻婆なすにハマってます。
めちゃめちゃ辛いです。 夏に最適。辛いもの好きの方、ぜひお試しを。


2004年7月23日、僕にはお世話になった人がたくさんいる。その中でもプロとして駆け出しの頃に
本当にかわいがっていただいたのが、西村英樹さんだ。西村さんは札幌を拠点に編集、出版にたずさ
わり、主に「地域」というテーマのもと、様々な活動をされていた。僕は95年、札幌の北3条通りの歴
史をテーマに開催されたアートイベント「ポロメンタ」に当初ボランティア・スタッフとして参加し、
そこで発起人であった西村さんに初めて御会いした。歳は結構違うのにはじめから妙に合うなと思って
いたら西村さんは礼文島生まれで利尻育ち。しかも、僕が小学生の頃よく目にしていた幌延町周辺の核
廃棄物処理場建設に反対する運動の中心人物だった。そんな事もあって僕は音楽家として参加するという
よりは雑用から来日するアーティストの作品作りのサポートなど、出来る事は何でもやった。とにかく、
この人と何かをしたい、何かを動かしたい、その一心だった。とにかく西村さんに常に迷いはなかった。

北3条通り沿いにある札幌で一番古い「岩佐ビル」に当時、リーセント・ギャラリーが新しく移転した
時もきっかけはそのイベントだった。そんな流れの中で「ポロメンタ」のために来日していたヤン・フー
ト氏やオランダ在住のアーティスト、エーフリーとも知り合った。そしてこのイベントの母体で東京の
ワタリウム美術館が中心となって開催された「水の波紋」にも参加させてもらったのも西村さん、そして
もうひとりの発起人である樋爪さんたちの後押しのおかげだった。当時サリン事件の直後で街全体がピリ
ピリしていた青山スパイラル前で即興によるパフォーマンスを行った。運送会社に壊されたシンセをぶっ
叩きながらようやく音を出し、樋爪さんが舞踏と詩の朗読を繰り広げる。僕の仕事の原点にはいつもこの
「ポロメンタ」、「水の波紋」そして札幌の北3条と、東京の青山という場所が焼き付いている。
そして、今僕はどういう縁か、東京でかつての原点となったこのエリアに住んでいる。

西村さんは僕に向かって「いいか畑中、アーティストにはなるなよ」そう言っていた。
でも西村さんは早稲田大学文学部美術学科を卒業していて、自らも絵を書いていたし、音楽にも造詣が
深かった。でも当時20歳だった僕は、その言葉の意味を完全には理解していなかったかもしれない。
ある夜突然電話がかかってきて飲みにいく事もあった。たいてい最後は西村さんの仕事場でドンチャン
騒ぎ。朝まで芸術、地域や地元の事、北海道の歴史と将来、時には白熱しながら時には大笑いしながら
飲み明かした。 ちなみに初めて買った巨大な携帯電話の最初のメモリーは西村さんの携帯番号だった。

先日懐かしくなってワタリウム美術館を訪れた。自宅からもかなり近い。かつてお世話になった和多利
さんにも御会いできるかもしれないので、新しい名刺と最近の作品を収録したCDを持っていった。
受付でチケットを買って、2Fから順に作品を見ていく。3Fでエレベーターを降りようとしたら、いきな
り目の前に
和多利さんが現れた。約10年ぶりの再会。お互い今度ゆっくりお会いしましょう、とお互い
に慌てて話している中に西村さんの名前が出た。今度本が出るらしい、その中に水の波紋とポロメンタの
事も書いてあるらしいとの事だった。
実は西村さんとはここ数年御会いしていなかった。急に懐かしくなった。

帰宅後、住所録を取り出して西村さんの電話番号を調べるが、何故か載っていない。何人かの人を通じて
連絡先がわかりそうな方に電話をかける。



西村さんは、昨年の今頃、亡くなっていた。
全く知らなかった。
つい最近まで知らなかった人もかなりいたらしい。
何とも言えない気持ちになって、再び外に出た。かつて西村さんと肩を組んで歩いた道を思い出しながら。
表参道から西麻布に出て外苑前経由で南青山方面をぶらついた。

「いいか畑中、アーティストにはなるなよ」、その言葉の真意は西村さんが思っているものと全く同じかは
わからないけれど、きっとあの頃の自分よりは理解しているつもりだ。

でもさ、西村さん、まだ若すぎるよ。常に潔かった西村さんの事だから後悔はしていないと思うけど。

かつて演奏したスパイラルの前で、納得がいかない自分の演奏と暑さでうなだれた僕の肩を笑いながら叩く
西村さんの笑顔といつも愛用していた西村さんのカバンの色がフィードバックしてくる。

翌日、西村さんが書いた「夢のサムライ」を買った。これは北海道にビールのはじまりを作った薩摩人、
村橋久成の生涯を追ったものだ。本を開いても西村さんの笑っている顔ばかり浮かんでくるのでまだ本文を
読み始めてはいない。でもこの本が手元にあるというだけで、妙に意識がクリアになっている。僕がドイツ
に行ったあたりから西村さんとは急に連絡が取れなくなった。そして丁度去年の今頃メールを送ったら、ア
ドレスが消滅していてそのまま返信されていた、その事がずっと気になっていた。その理由が久しぶりに訪
れた場所をきっかけにわかるなんて、本当に皮肉なものだ。

この本には西村さんの長年の情熱がみっちりと詰まっている、そう思うと涙が勝手に流れた。

まるで父親のように、兄貴のように、時には同級生のように接してくれた西村さん、
本当に言うのが遅くなっちゃったけど、お疲れさまでした。
そして本当に本当にお世話になりました。一緒にお仕事ができて心から楽しかったです。
また会って旨いビールを飲みながら大騒ぎが出来ないのが残念です。
もっとたくさんいろんな話しをしたかったのに悔しいです。
あの頃よりはいくぶんまともになった曲を聞いてもらえないのが本当に寂しいです。

でも今頃落ち込んじゃっても迷惑をかけるだろうから、約束します。
西村さんのように潔く、真実を見つめて生きていきます。

当時、僕らと交流のあった人たちは皆この事を知っているのかなぁ。
皆海外にいったり、違う土地に住んでいるだろうから、もしかしたらまだ知らない人がいるかもしれない。
もしもいまこのサイトで知った、当時ポロメンタや水の波紋で西村さんと関わった人たちがいたら、
どんな形でもいいから祈ってくれると嬉しいです。

最後になりますが、西村英樹さん、本当にありがとうございました。
改めて、心より御冥福をお祈り致します。


追記:後日、西村英樹さんをWEB上で検索していたところ、北海道在住のコンテンツ・プロデューサーで
あり、有限会社ブックスボックス取締役の田原洋朗さんが偶然にも西村さんの事を書いていらっしゃいました。
しかも、これまた偶然な事に私の事まで書いていただいておりまして、何というか、これを縁といわずして
何と言うのでしょう。とにかく驚いております。田原さんのログは下記にございます。是非御覧下さい。

■西村英樹遺稿集「バックミラー」が届く
http://booxbox.cocolog-nifty.com/review/2004/08/post_1.html


2004年7月18日、最近口を開けば「暑い」としか言っていない気がする。いかんな。
唐突だがiPodがまた最近気になりはじめる。基本的に歩行中にまで音楽を聞く気にはとてもなれない
のだが、音楽をポケットに入れて持ち歩くという行為は近年の技術でより進んで、全くがさばらない
小ささと軽さには本当に驚く。ハードはそれでいいとして、じゃあ実際のソフト=音楽の方はどうか。
本当にいつも持ち歩きたいと思える音楽とは一体どんな音楽か。今迄やってきた音楽とは別にそういう
音楽を追求しはじめてもいいのではないかと思いはじめたのは、何故だろう。歳のせいか?いや、
暑さのせいか?


2004年7月8日、あ、暑い・・・。いや「熱い」と書いた方が正しいかも。
私はこんな暑さ、体感した事がございません。
クーラーですら扇風機のように暖かい風をかき回しています。
こんな時は何を食えばいいんでしょう??

2004年7月3日、ここ最近は本当にライブ観戦多し。昨夜は専学時代からの友人のバンドのライブを
見に横浜へ。めちゃくちゃハードコアですごかったっす。あれは演奏疲れそう。
同級生なのはギターとパーカッションの二人なんですが、もう30だっていうのに頑張ってます。
励みです。格好いいです。
今日はriverのこおたに会い、青山の居酒屋でしばし御歓談。熱い音楽トークの寸前で解散となった
ので、内容も含めてこの続きはまたの機会に。



2004年6月の日記

2004年6月28日、昨夜は下北沢でriver観戦。いやー素晴らしい!いいエネルギーをもらいました。
あんなまっすぐなバンドはここ最近見た事ないです。
俺がレコード会社のDだったら絶対即契約なんですけどね、ホントに。
来月は札幌でライブをするようなので、札幌の皆さん、ライブ見て下さい。
ライブ終了後はhybirdのアンディと合流。朝3時まで飲んで、思わず学生時代を思い出しました。
そして本日の夜再びアンディと共に渋谷でオルガノラウンジのライブ観戦。初めて聞かせていただいた
んですが、素晴らしい音楽でした。 ここ最近ちょっと考えるところがあってライブ活動を控えていた
んですが、段々ライブしたくてムズムズしてきました。という事で、今週も10曲納品だー!


2004年6月24日、暑い。クーラー入れても全然涼しくないっす。
先日、ようやく、久しぶりに足立兄弟のライブを見る事が出来ました。
帰国後個人的に御会いしていたんですが、ライブ観戦は本当に久しぶり。

素晴らしい演奏でした!!


2004年6月16日、東京はここ数日晴天で暑い日が続いております。
梅雨ってこんな感じなんですか!?
とりあえず、夏前に夏バテです。ウチの田舎じゃ夏の最高気温がせいぜい25度くらいですから。
25度って今の作業場の室温です。
しかし仕事をするにも拠点としても東京はいいと思います。後は何も天災がない事を祈るばかり。
そうそう、先日渋谷で行われた長沢公平君の久々のライブに行きました。本人とはライブ前日に会った
んだけど、全く変わってなかった。ただ音楽は変わっていた。変わっていたというと誤解があるか、
大人になった(?)つまりは、より格好良くなっていた。焦らず息の長い活動を願うばかり。
無理せず頑張って。


2004年6月6日、ようやくネット開通です。
そして、東京は梅雨に入った模様。


2004年6月2日、おひさしぶりです。
実は最近引越しをしまして、仕事もゴタゴタしていたため日記を書く事ができずにいました。
しかも自宅にいまだネット開通していません。
いつの間にかネットがないと仕事もスムーズにいかない状況になっていました。
というわけで、ここ数日は渋谷のネットカフェに通う日々を送っています。



2004年5月の日記

2004年5月10日、巷は政治家の年金未納問題で盛り上がっているわけですけれども。
あれですか、年金のわけのわからない使い込みに関してはもう報道しないんですかね。
なんか問題の追求の主旨がずれてるなと思いつつ、仕事に戻ります。


2004年5月4日、結局ゴールデンウィークも仕事してます。
最近サプリメントにはまってます。特に鉄です。
いつも風邪をひいて熱を出した時もお医者さんに「鉄が不足している」と言われ
それ以来気が付けば鉄分を取るようにしていたんですが、これは効きます。
意識もはっきりします。
とにかく仕事で頭をフル回転させなきゃいけないという方、特におすすめです。


2004年4月の日記

2004年4月30日、吉祥寺にてriverライブ観戦。1年半ぶりの復活ライブ。
やっぱりriverは最高っす。次の6月ライブも見に行きます!


2004年4月26日、昨夜どこかのテレビ番組で100億円かけたハリウッド映画の製作者が、「この映画を
通して人類の偉大さを伝えたい」と言っていた。・・・・・・・・・・・・人間ってそんなに偉いのか?
俺はそんな映画見たくない。

2004年4月25日、先日オットーから「Prisoners of feelings」がドイツ、ハノーバのバレエフェス
で観客賞を受賞したという連絡をもらいました。相変わらずイリもオットーも多忙みたいだけど、ずい
ぶん色んな所でこの作品をやっているんだなと思うと、こっちも気合いが入ります。いやー、でも彼等
と簡単に会えないのはやっぱり寂しいなー。ハンブルクに居た頃なんて同じストリートに住んでたのに。
こう考えると日本とヨーロッパは遠い。実家も遠いけど。

2004年4月16日、おひさしぶりです。前の日記からすでに半月経っていたんですね。
帰国してから一ヶ月、色々な方に御会いしています。
なんだか初めて売込みに歩いていた頃を思い出します。いくら時間があっても足りないくらいやりたい
事があり、会いたい人がいる。そう思うと本当に有難い事です。
ちなみに明日は高校時代の同級生が出演する舞台を見に目黒まで行って来ます。

2004年4月1日、ようやく春です。北の国からやって来た者にとってはすでに常夏です。
つい最近、ある映画監督と面白いプロジェクトをスタートさせました。完成は先の話しなのでまだ詳し
い事は言えませんが、自分にとっては映像と音の新たな関係が築けそうな予感がしています。
これについてはまた追って報告します。
というわけで、いまだに自分の携帯番号も覚えられず、人ごみにも慣れずという日々を送っております。
皆さんも体調には気を付けて。


2004年3月の日記

2004年3月26日、なかなか暖かくなりませんね。昨日は風邪のためダウンしていました。
先日ドレスデン(ドイツ)から連絡をいただきまして、今年11月に開催される「CYNETart_04」という
イベント
に「ear opener 2」が招待を受けました。この作品はハンブルク滞在中に作曲したものなんで
すが、本当にどこでどうなるかわかりませんね。有難い事です。


2004年3月12日、ようやく落着いて来ました。
おかげさまで制作の仕事も再開しました。

それにしても、日本は便利です。

それに、パンがやわらかい(いつもドイツのパンで口の中を切っていた)。
そして、魚が旨い(ドイツ人はトロを捨てるらしい)。

注意しないと太りそうです。


2004年3月4日、ハンブルク空港。快晴。そして、



爆破予告。

すでに何かが起りそうな予感。

いや、ホンっとに、一時はどうなるかと思ったんですが、
結局悪質ないやがらせということで、

無事日本に戻って来ました!



2004年2月の日記

2004年2月28日、この前の日記で荷作りもほとんど完了なんて書いたけど、結局やる事が次々と出て
来て終わりやしない!3月4日にハンブルクを飛び立つギリギリまで走り回りそうです。
ところで、ハンブルクバレエの皆はいまアメリカ・ツアー中。2日に戻ってくるらしいですが、果たし
て無事会えるのか・・・。

とにかく、この日記がこの街を離れる前の最後の日記になります。

この2年、長かったような短かったような。ドイツでは本当に多くの事を学びました。音楽の事だけで
はありません。特に人間関係に関してはとにかく色んな勉強をさせていただきました。ここで得た経験
は人生の貴重な宝です。本当にありがとうございます。
ここで経験した事を日本で生かしていきます!という当たり前の事しか今は言えませんが、皆さんへの
感謝の気持ちを忘れずに音楽を続けていきます。

ありがとう、ドイツ!!

そしてここでお世話になった皆様、本当に本当にありがとうございました。
そして滞在中は日本の皆様からも多くの励ましやメールをいただいたきました。
僕らにとって、とてつもなく大きな支えでした。ありがとうございました!!

それでは、日本で皆さんに御会いできるのを楽しみにしています!


畑中正人



2004年2月23日、荷作りもほとんど完了。日本に発送するダンボールも3つのみ。あとはスーツケース
2つと小さい
楽器カバン1つかかえていけば良し。という事で物は持たないに限ります。
それでも今回随分といろんな物を捨てました。一番多かったのは紙類。何でこんなもの取ってあんの?
というものばかり。
ここに来てハンブルクは晴天が続いています。そういえばここに来た時も春先で晴天
が続いていたっけ。
ついこないだまで世界が沈むくらいの曇り空だったのに・・・。
本当にこの街は出迎え上手、そして見送り上手です。
さて、これから最後の掃除に入ります。メールをいただいている皆さん!ありがとうございます!そして
なかなかすぐに返事が書けなくてすいません!!御迷惑をおかけしますが、もうしばらくお待ち下さい。

2004年2月15日、無事ベルリンから帰って来ました!詳しくは下記のベルリン映画祭日記を御覧いた
だくとして、皆さんに重要なお知らせがあります。

この度、3月5日付で活動の拠点を東京に置く事になりました。
今後もこちらとの行き来が続きますが、ひとまずハンブルクでの生活はこれでおしまい!!
ここで生活しながらやりたかった事、そしてやるべき事は全部やりました。この2年本当に充実した日々
を過ごさせて頂きました。皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます!!!!!!

次のステップです。


>>畑中正人のベルリン映画祭タレント・キャンパス参加日記<<
(なお、このページは今後随時膨らませていく予定になっております)

>>映画祭の内容については、青木淑子さんの充実したベルリン映画祭現地レポートを御覧下さい<<


2004年2月2日、いよいよ5日にベルリンに出発します。なんだかんだいって1年半ぶりです。
ここ数日いつ寝て、いつ起きているのかよくわからない状態ですが、そんな疲労が心地よい
と思える時すらあります。現地では一体どんな事態が待っているのか楽しみです。


2004年1月の日記

2004年1月29日、プライベートでYahooのメールを使っているんですが、差出人が自分のメルアドに
になっているという不可解な迷惑メールが届きました。これってIDとパスワードが取られてるってこ
とですよね!?これはやりすぎ。しかも件名が「おつかれさま」ですよ、開いてしまった。
気持ち悪いので、すぐにパスワードを変更しました。皆さんもパスワード変えた方がいいですよ。

あーやだやだ。

2004年1月25日、昨日無事に29歳の誕生日を迎えました。
ひぇ〜、はやい!はやすぎるよ、人生は。とにかく両親に感謝です。
ということでテルメに行ったんですよ、近所の。しかも生まれて初めて。
約2時間泳ぎもしないで、ずーっと浸かっていましたよ。温泉じゃねぇっつーの。
嫁からは日本ザルと言われました。

そんな事はどーでもいいんですが、

「芸術観賞しない人、半数に迫る」っていう記事を見ました。
世論調査だけで世の中の実態がわかるとは思いませんが、 ちょっと気になりました。
日本ではアーティストになりたいって言っている人と、それを観賞、批評もしくは購入する
人との需要と供給のバランス、そして価値観に温度差があると常々思っていたんですが。

今はそういう時代なんですかね。

2004年1月20日、ベルリンに向けた最終準備に突入しました。
あと、新作の制作も。(しばらく休んでいたので)
なんだか1月もあっという間に終わりそう。

2004年1月18日、昨夜恥ずかしながら我が家で僕の誕生日パーティーを前倒しでさせてい
ただきました。こんな催しは初めてかもしれない。忙しい中、バレエ団
のみんなや友人の皆
さんにお越しいただきました。
普通こっちでは誕生日より前にパーティーを開くことはしないんですが、来週からはベルリ
ン映画祭参加の最終準備の日程が詰まっているので、前倒しでさせてもらいました。こうい
う時ってどんな事をしたらいいのか、どんなおもてなしをすればいいのか終始右往左往。気
が付いたらあっという間に終わっていました。でも。皆といっぺんに会えて、我が家がこん
なに賑わったのは本当に久しぶりです。
皆からもらったパワーをベルリンで爆発させたいです。
皆来てくれて本当にありがとう!!

2004年1月17日、ギリギリ締きりに間に合いました。色々ありまして、本当に大変でした。
と同時に人の暖かさを感じた数日でした。
一番の苦労はPAL(ヨーロッパ規格)のビデオ・テープを準備する事だったんですが、Macで
編集したものを一度DVカメラに落としたまでは良かったんですが、当然自宅にあるビデオデッ
キの規格はPAL。このままダビングしたところで白黒になってしまう。
コンペのルール上、PALのDVテープか、NTSCもしくはPALのVHSでなければならない。
これは絶対に、どーしても日本製(NTSC規格)のビデオデッキが必要という事で、ハンブルク中
を駆け回りました。最終的にY内さんとK田さん御夫妻の御協力のおかげで無事ダビングが完了。
多大な御迷惑をおかけしてごめんなさい。本当に本当に助かりました。ありがとうございました!
そして朝からずっとサポートしてくれた嫁さんに心から感謝です。
というわけで翌朝速達でベルリンに発送出来ましたっ!! と、
これで終わりと思いきや、実行委員会から作品をサーバーにもアップして下さいとの連絡が16日
(締きり日)になってきたんです。しかも朝っぱらから電話で。寝起きの英語はキツイっす。
実は映画「ラン・ローラ・ラン」の映像と音楽だけが指定された各作品20MBまでという容量を越
えてしまっていたんです。しかも、アップするデータはMPEG-1でなければならないという変な規
定に右往左往し、一度アップの作業を中断し、先述したビデオテープの作戦に切り替えたんです。
しかし審査の処理上どうしてもサーバーにもアップしてくれと言われて、大慌てで準備開始。実行
委員会のサーバー担当の技術者の人などに連絡を取っての確認作業に追われ、ようやく夕方にアップ
完了。時間との勝負の連続で変な汗をかきました。いくらネットが発達しているとはいえ、これら
一連の作業はここに住んでいないと無理でした。 そして何より僕一人では不可能な事でした。
全て終わって本当にホっとしました。後はベルリンへ乗り込んで、出される結果を待つだけです。
最後に、今回御協力いただいた皆さんへ心からお礼申し上げます。
本当にありがとうございました!

2004年1月13日、産みの苦しみ。映画「ラン・ローラ・ラン」のワンシーンへの音楽。
本編を見たのは随分前のような気がする。どんなサントラだったか、あまり憶えていない。
今回のコンペではわずか2分程度のシーンに音を付けるわけだが、その短さがかえって難しい。
フォルクスワーゲンとアニメの2作品はあっさり作業が終わったけれど、最後の砦が崩れない。
迷っているそのシーンには所謂「音楽」は付けたくない。でも単なる「効果音」にもしたく
ない。そんなこんなでたった数秒の音のために丸4日間、頭の中で何度もシュミレート。
ここ最近はコンピュータの前でウンウン悩んで、鍵盤叩いて、音出して、なんて行程にどうも
しっくりこないし、映像素材に音で垢を付けたくない。どっちかっていうと即興演奏をやる時
に近い感覚。出したい音と神経と身体がシンクロしてくるような心構えで過ごす数日間。
そして昨夜、5分間のコンピュータ演奏

あっさり音が生まれた。その後の編集もわずか10分間。
締きりにも滑り込みセーフ。産みの楽しさ。
作曲とは不可解なものだ。



2004年1月10日、すっかり雪は消えました。
昨夜はElbtonalのライブがFABRIKというライブハウスであったので行って来ました。
ヤンとは連絡を取っていたけれど他のメンバーと会うのは久しぶり。
凄い迫力のライブ。2年前にハンブルクの某教会で見たライブよりも数段凄くなっていた。
このバンドの司令塔Stephanは右足を怪我しているのにも関わらずドラムを叩きまくっていた。
そしてリーダーのヤンの作曲能力とマリンバ演奏は圧巻。WolfgangとAndrejの正確かつ大胆
なリズムは聞いていて迷いがなくてスッキリする。会場も大ノリだった。
はやく彼等ともまたライブがしたいな。このFABRIKという小屋も面白い。
FABRIKという単語は日本語で工場っていう意味でもあるんだけど、何故かとにかくリラックス
できる空間。PA(音響)は大変そうだけど。 いつかここで絶対にライブをやることに決めてます。
そういえば、ライブを見ていて突然思ったんだけど、こっちの人はMCがうまい。
何故なんだろう?
とにかくいいライブでした。

2004年1月7日、ここ数日で雪が少しだけ積もりました。
久しぶりの凍った路面。情けない話ですがまともに歩けませんでした。
玄関出た瞬間、思いっきりころびそうになりました。
ワタクシ、北の生まれです。これでも。

2004年1月3日、仕事はじめ。
2日から仕事開始しました。すでに街も2日から動いています。
今月はベルリンに向けた作業がメインになりそうです。英語の特訓も再開しないと!

2004年1月1日、謹賀新年。
あけましておめでとうございます!!日本より8時間遅れで新年を迎えました。
いまこちらはは深夜1時になろうとしておりますが、恒例の花火の嵐はいっこうに収まる気配
がありません。あんまりうるさいのでビデオに撮りました。煙りがひどいのでなんのこっちゃ
わかりませんが、音を聞いていただければ雰囲気は掴めると思います。
それでは、今年もよろしくお願い致します!!

花火ムービー2004年版:802KB(QuickTime movie)


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