畑中正人の日記、2002年掲載分です。
2002年12月の日記
大晦日。ハンブルグは久々の快晴。
人々の表情もいくぶん柔らか。
今年はいろんな意味で整理の年でした。
音楽活動も頭の中も日常生活も対人関係も、今迄の膿を出していた感じです。
今年も皆様にはお世話になりました。
ありがとうございました。
さぁいよいよ新しい年が始まります。
今年は篭りぎみでしたが、2003年はもっと暴れます!
それでは、良い新年を!!
12月吉日、いよいよもってハンブルグには誰もいません。
でもまぁ、静かでいいか。
何だか作らなきゃいけないもの、作りたいものが目白押しで篭りっぱなしです。
でもどれから手をつけるか、どれから終わらせていくか混乱ぎみ。
俺は機械じゃないので、ハイ作ってーって言われて作れる程才能はなし。
他者とのコミュニケーションを通して仕事が完了するのです。
人はひとりじゃなんもできませんな。
12月吉日、みなさんクリスマスはいかがでしたか?
こっちは盛り上がるどころか静か。24日の夜なんて誰も外を歩いてないし、車の音だって
たまに聞こえる程度。アパートも静かすぎて恐かった。
25日はほとんどのお店が休み。またまた車もそんなに走ってない。バスもスッカスカ。
クリスマスの手前までですね、結構賑やかなのは。
さてさて来年の準備もそろそろはじめなきゃと、演奏法も改良しなきゃなと思案中。ラック
トップで演奏ってまぁいいんだけど、見た目がつまんない。音が良ければいいんだろうけど、
客からお金を取って演奏するんだし、わざわざ見に来てもらっているんだから、最低限来た
甲斐があったもんだと帰ってもらいたい。
でもこっちのお客さんはなかなか手強いね。ノイズって引いちゃう人もいれば、丸い音を出
せば、実験的じゃないとか言われるしね(日本でも同じか)。
基本的にはやりたい音楽を、出したい音を出せばいいんだけど、音楽至上主義者にはなりた
くないんで、会場の空気を読む努力をしなくちゃ。客が次から来なくなるライブなんてやり
たくもないし、あくまで他者があっての自分ですから。
いくら格好つけたって芸で生きていく人種には変わりないんだから、
やるべきことを出来る範囲で精一杯やって、堂々とお金をもらうべし。
さぁ、まず机に置いて演奏するってのいうから脱却したい。 ビデオ撮影したって毎回同じ
絵になっちゃうし、なんだか音を出している気にならん。
そして音。ノイズを出せば新しいことをやっている証明にはならんし、その逆もまたしか
り。今迄一度たりとも自分の演奏に満足したことはないから、これはずーっとつきまとう葛
藤なんだけど、来年こそは今年より良い演奏しようっと!(当たり前)
12月吉日、今年もあと1週間。なんか、あっという間の2002年。
ドイツに住んで活動するという楽しさ、難しさ、面白さ、はたまた深さ。
何かこう、1年が3年分にも匹敵する程の濃さ。
いい人、ずるい人、面白い人、逃げる人、まっすぐな人。
みんなありがとうって感じです。
来月で俺もとうとう28歳。30代も射程圏内。
色んな人のいろんな仕事、色んな人のいろんな生き方、色んな人のいろんなやり方。
そんな経験を糧に肥やしに来年も、取り入れてみたり、捨ててみたり。
来年も、勝負です。
良いクリスマスを。
12月吉日、年末に新しいHPが新装開店です。 今後ともよろしくお願い致します。
いやもうこのコーナーが12月の日記だというのはわかっているんですが、ちょっと早すぎやしませんか?
2002年も終わってしまうなんて。年末年始の予定なんか全然決めてないぞ。どっか貧乏旅行でも行こうっと。
12月吉日、ここのところ快晴が続いています。ハンブルグ、雪は降りませんが北海道人の自分にとっても寒すぎです。
家の周りの運河にもうっすら氷が。
話は変わりますが、俺がサッカー狂であることを御存じの方も多いと思います。
どうも浜頓別時代からの友人たちにはいつもサッカーをしていたイメージが、
そして札幌時代の友人たちからは音楽一本のイメージが強いみたいですが、無論いまでもサッカー狂です。
毎日世界の(Jリーグも含めて)サッカーをチェックする事は欠かさずしてます、ハイ。
もう生活にないとダメですね、昔から。
自分のように篭ってチマチマ仕事しているような人間には必須です。
しかも伝統もさることながら国際的なスポーツ。
外国語は下手ですがサッカーの話しになれば、まぁよくも出て来るもんだ、単語が。
前置きが長くなりましたが、日本代表FWでジュビロのストライカーの高原選手がハンブルガーSV(以下HSV)
に視察に来るっていうんで、数日間落ち着かない。仕事にならん。
丁度、HSV対ボッヘム戦も観戦し、初めてのブンデスリーガ生観戦のせいもあって、頭がサッカーだらけ。
高原選手もこの試合は観戦していたようですが、後日視察だけでなく練習試合にまで出るっていうんで、
行きました。クラブハウスまで。
ハンブルグのかなり北に位置していて、バスとSバーンでかなり移動。しかも駅で降りても全く土地勘がないの
で、現地の人に聞き込みしながら、ようやくクラブハウス前まで到着。
一緒にきていた嫁の方が早足でウロウロし始める(俺の影響で結婚後、サッカー狂に)。しかし、練習する気配
が全くない。え〜ないの?と思いながら、クラブに隣接したレストランでコーヒーでも飲みながら、予定を立て直し
ましょうってことで、ドアをくぐると、
いきなり高原選手が関係者の人とお茶してる(たぶんミーティング?)じゃありませんか。
我らは絶句。
遠くから練習を見守ろうなんて言っていたら、そこにいるんだもの、びっくりしました。
で、迷惑になるといけないので死角になりそうなところに座ってコーヒーを注文。
無論、その後の夫婦の会話は空回り。もしかして我らがここにいる事で、もの凄い空気を悪くしてるんじゃないのか、
考えるのはそればっかり。
で、ほらサインとか欲しいなぁと思ったんですが、した事はあるけど、下さいってしたことないし、いやーどーし
よう!などと頭の中で考えていると、高原選手と関係者がすっと席を立ち、店を出て行こうとしている。
あ〜あ、そうか行ってしまうか、などと思っているとそこは嫁さん、彼等が店を出た直後、持っていた五線譜とペン
を持って追っかけた! そしてサインをしっかりもらってきた。
こういう時って、俺は本当に度胸ないっす。芸能人見てもたいして驚かないけど、自分の好きなサッカー選手はねぇ、
ダメです、緊張して。
またもや嫁を尊敬。
で、どうやら練習試合はここじゃなくてAOLアリーナらしいという情報が店の人とクラブハウスの前に立ってた男性
から入って、え?方角が真逆じゃない?
琴似から新さっぽろ行くようなもんじゃん!(札幌以外の方、ローカルですいません)
しかも開始まであと30分きってるし。
あ、もう絶対だめだ。今からバス乗ってSバーン乗って、乗り換えて、またバス乗って・・・。絶対なしだわ。
しぶしぶ帰ろうかと思った瞬間、後ろから「ヘイ!」って言われて振り返ると、さっき教えてくれた男性が「アリーナ
まで乗せてやる」と言ってるじゃありませんか!乗るにきまってます。
おおっ、新型ベンツで快適移動とは何か今日はツイてるぞ。
なんとその男性、HSVのユースのマネージャーでした。
そんなこんなで車の中でサッカー話しで大盛り上がり。
てなことで15分後にはアリーナ到着、その男性にお礼をいってアリーナへ突入!と思ったけどどっから入っていいか
わからない。で、日本から来ていた報道陣の方に訪ねながら歩いていると、すんなり入場可。
結局、そのままプレス側の席で練習試合を観戦することとなりました。やっぱり今日はツイてるな。
極寒の中、HSVのユニフォームを着た高原選手のプレーを見て、大感激。
高原選手も序盤からかなり飛ばしていました。
あっという間に時間は過ぎ、さっ、歩いて帰りましょうと案の定道に迷っていると、サラリーマンの人が一緒に駅まで
行ってくれました。 本当にツイてる。
ありがたいです。
いやー、でもどうなるんだろう移籍は決まるのかなぁ、来てほしいなー。
ハンブルグは観光地ではないし、日本人もほとんどいないので、彼がもしも移籍したら観光客が増えるのかな。
俺も2006年W杯までこのままドイツに残れて、生で見れたら最高なんだけどなー。
とにかく今後の動向を見守ります。高原選手、まずは天皇杯頑張って下さい。
2002年11月の日記
シンフォニーの作曲。
今の自分のやりたい音楽からしてみれば負の方角。
最もヨーロッパ的で最も効率の悪い演奏形態。
とっくの昔に聞き飽きた、退屈な音楽。
ベートーベンもモーツァルトもワーグナーもどこか嘘臭くて
結局好きになれなかった。
それでも作ろうとするのは、作曲家のただのエゴか、自己満足か。
ヨーロッパ的視点で作曲とは結局のところ、機能でありシステムだ。
調性だろうが無調だろうがその枠を越えることはなかった。
「現代音楽」なんて、とっくに過去だ。
50年代以降から、別にたいして変わってない。
それでも、「現代音楽」の響きを聞くと不安や不快に顔をゆがめる
聴衆がいるのはいまもむかしも変わらない。
やはり、ヨーロッパではいまでもバッハが原点であり、シェーンベルク
が洗練であり、 ドビュッシーが華麗なのか。
上流階級の家で聴いたバッハの曲のピアノ演奏。
音のつぶが綺麗に揃い、きらびやかな動機の展開に目をほそめてほくそ
笑むドイツの人々。
この光景に何の価値も見出せない自分の視点は異常なのか。
それでも一ヶ月以上もシンフォニーのために自分のアイディアを追った
り、設計図を直したり、もしくは捨てたり。
書きたい音は多くない。ましてや才能を確認したいわけでも、個性を表
現したいわけでもない。
ヨーロッパ各地のコンペへ出品するからといって、この作品が評価され
ようが批難されようが無視されようが、そんな事はどうでもいい。
この機会に耳を開いてみてはいかがですか?と提案のつもりで作曲した
ところで、大きなお世話だ。
それでも作業が続く。
やはりこれは作曲家のただのエゴか、自己満足か。
拡散していく意識にすら無関心で音を紡いでいけば、その先には何かが
見えるのか。
誰かが「西洋音楽はパズルなんだ」と言っていた本の一説を思い出す。
同時にその人は「アジアの音楽は水のようだ。その流れを止めることは
できないよ」とも言っていた。
その言葉の本意はリスペクトなのか、ただの支那趣味か。
その水の流れを無理矢理止めて、自分達の優位性、正当性を押し付けた
のはヨーロッパではなかったのか。
こんな想いに押しつぶされるくらいなら、誰の手も届かないところで、
馬鹿にされながら音楽を作っているほうがマシというものだ、
という諦め。
だからといってコンピュータによる即興演奏が救いかと言えば、こんな
やり方で果たしていつまで興味を持てるのかわからない。
それでも音楽を続けるようとするのは、何の現れなのか。
この空気の中に融けていくような音。
誰の耳を誘惑するわけでもなく、ただ耳が変容していくような音楽を。
11月28日、またまたやって来ました、ビザの更新が。あ〜もう前の晩なんて寝られなくて、すっかり寝不足。やだなぁ〜役所(外人局)って。朝9時半ちょうどに到着。時間通りに呼ばれるわけはないと思っていたけど、いきなり朝一番に全てのコンピュータがクラッシュしたらしく、 混乱状態。ハァ〜〜〜〜〜、今日は何時に終わるんだか。。。と、思いきやいきなりの点呼、我らがあやうく散歩に出かけるところで、申請に来ていた中国人の女性がわざわざ呼んでくれた。ありがとう!早速部屋に通される。かくかくしかじかと嫁さんが説明する。こういう時の嫁さんは本当に強い。尊敬してます。しばらく説明が続いたあと、んんん?あー、ねぇ、やっぱキツイかぁ〜。あっ、そう1年。。。あ?1年っ?うそっ!?凄い!しかもその後も住みたかったら住んでも構わないという。その上、ようやくパスポートに直接ビザを張り付けてもらう。そこにはちゃんとKomponist(作曲家として)という文字が。なんだか学校の卒業証書もらった時よりも、MIDI検定合格した時よりも、賞をもらった時よりも何倍も嬉しい。更に、嫁さんもある提出をすればどうどうと俺の仕事の手伝いをしていいという特典付き!あ〜〜〜これで数カ月おきにビザの恐怖に襲われる日々からしばらくおさらばです!!!それにしても絶対に外人局では英語は話してくれないと脅されてきましたが、全て英語で対応してくれたのは謎です。嫁さん、本当にありがとうね。そしてお互いの両親と、最初の申請で力をくれた皆と、今迄一緒に仕事していただいた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました!!!!!!!このお礼、しっかり音楽で返します。あぁ、ビザのシールの光りがやけに眩しい。しかしーこのKomponistの横に書いてあるChoreography(振付家)ていう文字はなんの間違いだろう、、、もしかして、振付しても良いってことなのかしら・・・。
11月21日、高円宮さまの突然のご逝去に言葉も出ない。98年にローザンヌのバレエセミナーで演奏を担当した時、札幌で2度御会いする機会があった。御食事会に招待していただいた時も、とても透明感のある優しい人で、音楽にも大変造詣が深いお方でした。また、自分のような名もない音楽家にも普通に話しかけてくださり、色々なお話をし、大変感激した事は今でも鮮明に記憶しています。 芸術、文化、スポーツなど幅広い分野に深い理解と多大な貢献をされた高円宮さまのあまりにも早すぎる死は、自分にとっても大きな衝撃でした。本当に残念でなりません。 心より、御冥福をお祈り致します。
11月吉日、いやいや無事終わりました。後にも先にも「2時間耐久生ライブ」てこれが最後だろうな〜。スンゲー疲れた(おまけに背中が筋肉痛)。先述したように、ダイヒトアハーレンの中で2時間演奏し続けるというもので、客は数分ごとに数百人単位で入れ代わる。ようは展覧会で流れていく客を引き止める役目もあったんじゃないのかな。とにかくいつものようにステージがあってお客さんが座っていて、暗がりでお互い集中して見るというようなスタイルじゃない。目の前をお客さんがガンガン歩いていくし、テーブルの上には俺についての説明文(ドイツ語)のプレートが置いてあって見ようによっては動物園(珍獣?)状態だし、俺のコンピュータの画面を覗き込んでいる人もいる。とにかく俺もずっと集中してなんかいられないし、だからといって散漫になっていてはいい演奏はできない。時にはドでかいノイズを出して客をひかせてから、もう一回集中したり、反対のことをしたりと、まぁーやることは演奏なんだけど、こんなに耳と頭を使ったのは久しぶりじゃないかな。一回も音を止めないっていうのを目標にして、結果的にはちょっきり2時間演奏することができた。はじめはこの話しはお断りしていたんだけど、やってよかった。結果オーライ。お客さんが常に入れ代わっていくってことは普段の演奏とは別の種類の集中力が必要だから、ストリートの感覚にも近いのかなぁ。とにかくもともと無関心な人々を引き止めて、「聞いて下さい!」ってことを俺はあまりやってこなかった。結果的に述べ6千人もの人たちに聞いてもらえたってことは、特別な経験だった。おかげ様で急遽用意したCDは、うちの嫁さんパワーのおかげで全部売れ切れ。俺の名前やホームページのアドレスをメモしていく人や、24歳の息子がこういう音楽をやりたがっているんだと言ってずっと耳をすましていた女性や、俺のやっていることを珍しそうに見つめる子供、会場に引き返してきて「やっぱりCDが欲しい」と買ってくれた人、何を思ったのか2時間ずーっとそこに座って聞いていたおじいさん、などなど幅広い年齢層や国籍の人に気に入ってもらえたことは今後のための大きな糧になった。 また来年の1月にやってほしいと美術館側には言われたけど、もう2時間は勘弁ね(笑)。でも1時間やるよりは変な充実感があったのは気のせいかな?最後に、風邪をおして手伝ってくれた嫁さんと、俺をずーっとプッシュしてくれたこーちゃんに心から感謝します。ありがとう!
11月吉日、ハンブルグで2番目に大きいダイヒトアハーレンという美術館でのソロライブ。といっても日本のマンガ展のオープニングアクト。だから俺が目当てじゃない。そもそもは1ヶ月半くらい前に話しをいただいていたんだけど、予算とか色々問題があってキャンセルになっていた。それが開催3日前になって急遽「やっぱり出てくれ」ってことになったんですな。案の定会場へ行くとスタッフは何も聞いていないし、ディレクターもオーガナイザーもいない。仕切りの悪さといったらない。この展覧会の準備自体、美術館側の要領が悪かったというのは噂で聞いていたけど、何時から演奏するのかもわからないし、ステージなんかなくて入り口近くの環境の悪いところだし、テーブルが必要だと言ったらイスを持ってくるし、何よりタダ働きだしなー。・・・でもねぇ〜、かけだしの頃を思い出しましたよ。そういや20歳くらいの時はそうだったよな〜。それに俺はこっちじゃキャリアないしね。ま、仕方なし。とにかく演奏してりゃいいんでしょ?てな事で久しぶりに40分近くソロ演奏。ん〜、客は常に移動しているし、紹介もなければ拍手もなにもないし、こうなりゃ逆にボリューム上げるのも負けた気分だな、下げてやれ。リングモジュレーションを使って即興で鐘みたいな音を作り、倍音を微妙なボリュームで、間を空けながら数回繰り替えし演奏すると、面白いもんで話しこんでいる人が段々こちらを気にするようになってくる。ピアノみたな楽器音は当然反応するんだろうけど、ゆ〜っくりと会場に音をなじませていくと、拒絶反応でも完全受け入れ体制でもない不思議な状態になっていく。 札幌にいた頃、専門学校の授業で音楽関係のビデオを見せてた時に、ボリューム上げて見せると、授業の後半には生徒たちがそれに負けない大きな声で話しこんじゃっていた。それで、試しに普通に家でテレビ見るくらいの普通のボリュームで見せると、だんだん教室が静かになってきて、やがてほぼ全員がテレビの方へ注目したという経験があった。これは話している自分の声がテレビより大きい=自分が授業のさまたげになっているかもしれない、という認識を生む。この日はそれに近い状態だったのかも。んーこれは個人的には面白い経験。こういう場合にはこの方法は効果があるかもね。まぁ楽しめましたよ、さぁさぁ帰りましょう、仕事もあるしってことでこの日は家路へ。翌日、もともとこの話しを持ってきて、かつ俺をプッシュしてくれたグラフィックデザイナーでこの展覧会のエージェント会社勤務のこーちゃんより(TOPページの写真は彼の手によるものです)メールで、ダイヒトアハーレン側が先日の演奏を高く評価。あさってもう一度演奏してほしい。との内容のメールをいただく。あら?そう。向こう側が望んでいるんだ。これは演奏しないとね。が、演奏時間2時間という内容を見て「ゲッ」。これはまた入り口で演奏か?と思ったが、今回は中にステージを用意するということで、CDも売っていいし、仕事として演奏してもらう。自由にやってくれ、この日はこの近辺のギャラリーと美術館が深夜まで開いていて、何千人も来場するし、急いでライブ告知のポスターも用意する、ということなんで、一安心。でも2時間連続なんてやったことないからな〜。集中力持つのか?ていうか集中力使わない方法で演奏しないともたないね、きっと。さぁあと7時間後には演奏しに出かけなきゃいかんし、これから半身浴で頭を覚まさなきゃ。結果は追って報告を。
2002年10月の日記
10月吉日、某所で嫁さんが手に入れた1、2年前の日本の婦人雑誌をなんとなく眺めるのが最近の休憩方法。ここ数日は眺めるだけじゃ飽き足らず精読する始末。で、もう目につく言葉が癒し、それと癒し、あとは・・・癒し。今現在も日本は癒しブーム継続中なんでしょうか。日本ってそんなに病んでいるのかなぁ。確かに90年代半ばから随分おかしな事件が頻繁にあったし、景気も悪い。かなり全てが下向き。でもこれは日本だけではないわけで、個人的な意見でいうとドイツだって相当病んでいる。まぁそれはとりあえず置いておいて、なんで日本って「癒し」って言うとマスコミは一斉に「癒し」一色になるんだろう。なんでもそうだわな、「R&B」ってなるとすーぐに音楽シーン(といっても虚像の)はR&Bだったし。 マスコミが勝手に作って勝手に流行らせてるんだろうけど、きっと何書いても流行るんだろうな。何でもかんでもブームとして指向を一本化していく日本のそういう面は嫌いだ。テレビは好きだが、ろくなジャーナリストもいないし。ちゃんとしてる人はほとんどテレビになんか出ないし。ちゃんと質問できないインタビュアーが多すぎる。よくいるのは「この問題についてお聞きしたいのですが、どうですか?」って言う奴。どうですか?って。普通は「この問題の〜について(もしくは〜の点について)お聞きしたいのですが・・・」って質問するんじゃないの?ちょっと有名な話しだけど、某タレントで元オリンピック出場選手が、オリンピックの開会式で某有名女性柔道選手に対して「開会式、どうですか?」と聞き、「凄かったですねー」と彼女が答えると、「何が?」とタメ口で切り返したことは、俳優の吉◯A◯氏が渡米する際、記者会見で「アメリカでジャンボになって帰ってきます」と真顔で言ったことくらいショックなことだった。吉◯さん、ジャンボじゃなくて、ビックです。・・・とまぁ、色々と文句言っていても、休憩中に婦人雑誌を読みふけている自分のさまを見ると、第一次ホームシックなんだなぁと思います。温泉、そば、本、ホタテの刺身、オホーツクの鮭、コンビニ、寿司、うどん、活カキとカニ、マンガ、札幌のろまん亭のケーキ・・・様々な欲求(ほとんど食い物)が頭をよぎる。しばらくはこれらの煩悩と戦うことでしょう。しかも、いきなり冬時間になって1時間ずれて、体のリズムが狂ってます。ってどうでもいい話しか。
10月吉日、最近何故か無性に日本の歌謡曲が聞きたい。一口に歌謡曲といっても俺にとっては80年代がリアルタイムなので、当時のポップス。ここ数日は何故か斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」が頭の中をループする。なんでかねー。・・・かなり疲れているのか? いや、でもあれ良い曲ですよ。そういえばダンサーのシルビア(イタリア人)が小泉今日子の「あなたに会えてよかった」(名曲です)を歌っていたり、フランス人の友人が高橋ユキヒロ氏の歌の歌詞をまるごと覚えていたりしたことは個人的にかなりビックリ。外国人が歌うとやっぱり奇妙に感じる。 80年代なんてリアルタイムだったし、当時から80年代のファッションなんか恥ずかしくて、ドラマの再放送とか見てもほら、格好変でしょう?髪型とか、パンツのタックの入り具合とか、Tシャツの長さとか、肩にセーター羽織ってみたり。音楽に関しても一部を除いてこの時代には一切興味なし。それがこっちへ来てからちゃんと聞いてもいなかったポップスが懐かしくなるとはね。あっ、山口百恵のCDなんてこっちにはないよなー、って俺は何を書いてんだ?
10月吉日、今日はものすごい強風。夜、イリとドンペリのコンペ用楽曲の打ち合わせ。いくらメールが便利でも直接会って話さないとわからないこともある。どうせ家が近いんで来てもらった。短かったけどとても有意義な時間だった。結局作品のほとんどの楽曲を俺が担当することに。 あと、イリとはもうひとつ来年春頃に公演する予定。まだ企画段階なんで詳細は追って報告を。
10月吉日、モスクワでの立てこもり事件。CNNやBBCの片寄った報道に呆れる。いまじゃ大国って呼ばれている国が一番もろい。
10月吉日、現在はヨーロッパ各地で開催されるコンペ用の作曲をするため部屋に閉じこもり中。 外へ出る気も一切なし。いままで勉強はしたものの実践配備経験の少なかった管弦楽の分野に新しく挑戦することになった。今迄のエレクトロニクスの分野やピアノ曲の出品はするけどね。現在仕事・営業面では、かつてない逆境を味わっているせいか、絶望的な勇気が湧いている。俺の音楽人生たかだか12年。まだまだもがいてやろうじゃねーか。
10月吉日、 BBCやCNNを見ているとブルーになる。非常に片寄った報道のやりかた。全く何回戦争すりゃ気が済むんだろうね。人間ってのはちっとも進歩してない。
10月吉日、 「祈る」音楽があっていいんじゃないかと思う。「癒し」でも「救い」でもなく、ましてやどこかの宗教みたいに特定の人物への祈りでもなく。空でも湖でも自分の家の庭先に咲いてる花でも草でもいい。ただ何かを鎮めることができる「音」のひとつくらいあったっていいんじゃないか、そんな音楽家がいたっていいんじゃないかと思う。
10月吉日、ある人の招待で自宅パーティーに招かれた。自宅っていったってすんごい豪邸。まぁ室内コンサートなんかあったりでなかなか楽しめたんだけど、一番印象に残ったのは、ある男性からの質問だった。彼とは途中から日本とドイツ(西洋人)との文化面の違いの話しになって、明治維新以降、日本の音楽教育の方針が一気に西洋音楽化されたことに関して、彼は「どうして日本人はそれを受け入れたんだ?」と聞いてきた。俺もうちの嫁さんも絶句。「え、おしつけてきたのはヨーロッパだろう」と内心思っていたが、嫁さんがすかさず、「西洋音楽は仕組みがはっきりとしていてわかりやすかったから、だと思う」と切り返した。そう、俺もそう思う。西洋音楽理論はヨーロッパ合理主義の財産のひとつだし、理路整然だし。そう思うと同時に俺は心の中で問いはじめた。俺はいままで西洋音楽ってのは植民地と同じように各地の民族から音楽を奪い、我らの音楽が最も合理的で素晴らしいものだなんて精神で西洋音楽理論とその楽器たちの布教活動をしていたと思っていたし、事実そうだと認識していた。しかし彼の何気ない言葉を聞いて、「あっ、受け入れてしまった日本人にも問題があるのかもしれない」と思った。
さらに彼は「我々は日本の伝統音楽を聞いたら奇妙に感じるし、モーツァルトを聞くと安心する。なのに日本人はモーツァルトを聞くと奇妙に思わないのか。」とも言っていた。別に彼は優越感や悪気があってこんな事を言っているわけではない。だか、ここに文化面の大きな違いがある。 違いがあること自体に問題は一切ない。だがこの違いを感じることができるかどうかが重要なのだ。西洋人(もちろん全員じゃないよ)にとって音楽とは割り切れるもの。つまり12音階の組み合わせであって、変数や小数は存在しない、もしくは存在していたとしても、それは「ストレンジ」な存在なのだ。
それに対して非ヨーロッパ地域の音楽はそれぞれ多種多用な音楽の仕組みがあって必ずしも12音階では割り切れない。ドとドのシャープの間にさらに音を持つ民族もいるし、「リズム」なんて概念ではない方法で時間を刻んでいる音楽だってある。それも目的も多種多様で「音楽」ではなく「儀式」として音を出すことだってある。そこでは「楽しみ」のためじゃなく、「祈る」ために音を出す。で、俺は何か言いたいかというと、俺はそういう西洋から見た「辺境」から楽器や音楽をかっさらって持ち帰って、てめえの神様とくっつけて、それでお祈りして戦争続けて、民族虐殺して、それでまた植民地を増やして(日本人もやってたことだが!)なんていう西洋音楽の背景に何かを提示したくて、俺は音楽をやっている。それも今は変わらない。
だから搾取してるって点じゃピアノなんか元をたどればアフリカから来ているんだし、ただ人の曲をかけてつなげて満足してるDJなんかも、やってることはただの搾取じゃねえかと思う(ちゃんと取り組んでいる人もいます)。ソウルがいい、いいって、いいのは本家本元のライブだろうし、ジャズだってそうだ。初期のヒップホップはサンプリングはしてもきちんと彼等の言語で音楽をクリエイトしていた。それが、今度はMTVで女はべらかして白人への優越感丸出しで過去の恨みをはらしてるようなPVがメジャーに出てて、クラブじゃあ他人の音楽で皿回してるような連中が平然と音楽屋のお面かぶってるっていう現状で、じゃあ自分は何を音楽で提示できるかってことを日々考えているってことを言いたいんだすわ(注:もちろん音楽を楽しむってことでは必要な存在だし、俺の能書きとは別の次元で真剣にやっている人たちもいます)。
しょせん俺がやれることなんて微々たるものだし、こんなたいそうな大口は、はける立場になってから言えって感じだけど。とにかく、こうした故意に忘れられた歴史や現状にヨーロッパはもっと目を向けるべきだし、日本の音楽教育もその辺を考慮してほしいと思うのね。・・・まぁ、またこんな事を口ばしってもしゃーないか。とにかく、そんなことを会話を聞きながら考えていると、改めてヨーロッパに来て良かったと思った。むかし頭で考えていた事が肌で感じられるからだ。これらの思いはそのうち音楽活動の中で提示することになるだろう。
10月吉日、そういやこんな事は書いていなかったけど、近年のドイツは日本以上に景気が悪い。日本じゃリストラだ就職難だというけれど、選ばなければ職がまぁまぁある。しかし、ここドイツは本当にない。しかもトルコ人をはじめとした外国人労働者が大量に流れているため、景気低迷に歯止めがかからない。この経済成長のままじゃあユーロ圏加盟条件スレスレで立場が危うくなる。物価も日本と比べて以前のような大差はなく、来年になると逆に日本より高くなる可能性まで出はじめている。はじめてドイツに来た当時(98年)はなんて物価が安くて暮らしやすいんだろうと思っていたのに。環境問題に関しては日本人が持っているイメージよりは意外と意識が低い。ゴミのリサイクルが盛んだったのも数年前までの話しで、市民レベルでは仕分けすらしない風潮すらある(もちろん、している人はいますよ)。これは業者がきちんとやっていたと思っていたところ、実は全くリサイクルしていなかったという事実が発覚したためだ。首都の様子はというと、現在ベルリンはパワーダウンの一途を辿っているように感じた。確かにベルリンは東京、ロンドン、パリ、ニューヨークなどと並んで重要な文化都市ではあるし、そこらじゅう建設中で新しい巨大建造物が立ち始め、見た目には発展しているように映る。しかし日本企業は次々とベルリンからの撤退をはじめている。文化面の刺激というところでは、音楽やアートのシーンはお決まりになりつつある。音楽のマーケットの傾向も他の国と同じで平均化の一途。まぁ、どこに行っても同じようなクラブがごろごろあるのは何処もそうだけど。これは俺の個人的な主観なので、現場に行けば行ったでかなり面白い連中に出会えるのも確か。しかし現実として面白いアーティストはどんどんベルリンから離れている。 ある記事によれば壁があった時代の方がよっぽど刺激的だったという話しまである。音楽は以前にも書いたように完全にUSかぶれ。ヒップホップが全盛で、老舗と言われたテクノですらかつての輝きはなく、その多くがゴミのようなリミックスばかり。 アングラはすでにアングラではなく、ただのファッションなのか。アングラが面白い、なんてのはここでも迷信に過ぎなくなったのかもしれない。まぁ、問題を抱えていない国なんてひとつもないし、アメリカなんてどさくさに紛れて戦争おっぱじめようとしているし。嫌いです。おっと話しがそれたけど、俺がここにウダウダと書いたところで状況は変わらない。こんな状況でも俺は音楽で何か結果を残さなきゃ。結局音楽家なんて無力です。音楽やってりゃそれでいい。
10月吉日、浜頓別幼稚園から新聞記事(日刊宗谷)のコピーと共に、式典無事終了の御報告のファックスが。園歌も好評で園児も元気に歌ったとのこと。はぁ〜ひと安心。良い仕事をやり終えた達成感はいいですね。あらためて30周年おめでとうございます!!!
2002年9月の日記
9月吉日、ビザ・リベンジ。朝早く起きてとっと予約とっちまおう。ひっそりとした部屋に呼ばれ、椅子に座る。ビザを見せると、担当者「あっ 、更新まで時間ないね〜。じゃー11月に来て」。はっ!?ビザの紙を見ると、12月まで延びている。え?これって一応更新じゃないの??え?OKなの?なんで?ここまで要した時間、5分。こうしてリベンジは予想外の展開であっさり終了。神様、フィーレン・ダンケ。
9月吉日、運命の日再来。そうビザの更新日。みんなそうだが、俺は役所が嫌いだ。まった色々と資料を揃え、朝早起きしてスーツなんて着て(嫁なんて着物着て!)、約束の30分前には到着してやきもきしていると、 「ハーターナーカー?」って呼びだれる。はぁ〜嫌だなぁ〜。 とりあえず座ったら、いきなり一発。(担当者)「えーっと、ここじゃ更新できません」。・・・・・・!!!!。なぬ??はっ!?。(担)「だからここじゃありません」。ちょっとちょっと、前に来た時、今日ここに来いって予約カードまでもらったのに?(担)「とにかくここに行って下さい。」って、もらったメモには家からすごい近い住所。なんだよー、「ここじゃありません」って言われるために予約してここまで準備してきたのか?(怒)まぁいい、とりあえず指定された役所へ行こう。っっっっっって、行ったらやってねーの。なーーーーーーーんだよ、それ。あったまきた。あの予約カードは何だったの?(カードっていうより、昔小学校とかにあったプリント用の茶色い紙なんだけどさ)あぁーとにかく、明日リベンジだ。
9月吉日、イリとの共同作業は順調。同じストリートに住んでいるくせにメールで音を送ってやりとりしている。というのもバレエ団が新しいシーズンに入ってしまい、のっけから彼のプレミア公演があったりして、かなりバタバタ模様。でも細かい点については、実際に俺の部屋で音を出しながら作業したほうが良いだろうという事で、近日中に会う予定。 ところで知らなかったんだけど、プレミア公演の時の最前列ってチケット10万円(それ以上もあり)もするらしい。ウゲー、そんなにすんの?ちなみに俺はいつも2000円前後で座っていた。あぁぁイリさん、いつもすびばせん。。。感謝。
9月吉日、最近すっかり寒い。あーやだやだ。最近MTVを見ていると、音楽の方向がすっかりアメリカナイズされている。まぁ今に始まったことじゃないし、今さらMTVのからの情報なんて対して重要じゃないけど、UKですらアメリカみたい。ひと昔(いやふた昔?)前とは逆の構図になっているかも。ドイツ本国はどうかというと、なんか中途半端。だって今頃ヒップホップ全盛だからね。でもひとりだけ面白いおっさんを見つけた。 名前はHerbert Groemeyerで曲名は「Mensch」。歌がうまい、作詞にセンスがある(といってもドイツ語なのに響きがスムーズ!という意味です)。曲も当然良い(って言ってもまだ一曲しか知らない・・・)。日本ではオンエアされているんだろうか。ドイツでは現在2位とUSとUKのヒットと張り合っている。もしも機会があったら聞いてみて・・・ってドイツのポップスは基本的に無理があるからなぁ(笑)。まぁ興味がある人はどうぞ。あと日本のMTVでは放映されているかわからないけど、こっちでは「オジー・オズボーン一家」みたいのが放映されていて、悲しいかな今一番笑える番組になっている。オジーといえば、・・・ねぇ?まぁロックの世界じゃ一躍有名になったわけだけども、その豪邸での私生活とクレイジーな家族たちの肖像は見ていて結構飽きない。でも娘がデビューしたってのは良くわからないけど。ほら、よくMTVでスターの豪邸訪問なんてやってるじゃない?まぁ豪邸に住むのは勝手だけど、マライアの家とかデカすぎじゃないか?(ほっとけ)しかもすんげー態度わりぃーの、お手伝いさんとかに(ほんとにほっとけ)。てなことで、一方ハンブルグのアバンギャルドに目を向けると、いま中心になっているのは14、5人のブレインで、何だろうエレクトロ(?)を即興でやっているような感じ。リーダー的存在の音楽家はよくインプロのライブを開いているが・・・。本当に相手の(もしくは自分の)音聞いてんの?という印象。はじめは話しかけようなんぞ思っていたが、ある情報筋からよくよく聞くと、どうもかつて人を殺しちゃったりしちゃった連中なんかが集まっているブレインらしく、ちょっとこれは精神衛生上よろしくないので、避けている。ここら辺のシーンはかなり狭い世界なので、慎重にライブをする方法を模索中。それにしても、セリーヌ・デュオンって整形したのかぁ〜。なんか顔の皮がのびてる気がする(どーでもいいけど)。
9月吉日、ヨセフ氏と打ち合わせ。といっても大半は世間話(はぁー最近やっと英語で世間話しができるようになったかぁ)。来年の春、彼の個展がハンブルグ市内の教会で行われることになっていて、そこで演奏してほしいとの依頼を受けていたんです。まぁその辺の話しを交えながら、いま俺が弦楽四重奏とコンピュータのための楽曲を制作していることも話すと、誰か良い演奏家を知っているみたい(フランス系で)。んー何かいい感じ。早いとこデモとスコアを完成させなきゃ。ヨセフは来年夏からの日本行きを希望してレジデンスなどにすでに申請している。彼は優れたアーティストなのできっと良い方向に行くだろう。もしかしたら来年は日本で会えるかもね。
9月吉日、イリから来年のコンテンポラリー・ダンスのコンペ用の作曲の正式依頼。いま彼は来年に向けて新作の構想を練り始めている。イリが振付け&主演、そして多数のダンサーがサポートするというもの。公演時間20分という制限の中で俺が担当するのは、最初の5分の音楽の作曲。入り口ということで、最も重要な部分を作曲させてもらうことになった。きっとイリはコンテンポラリーへの出品ははじめてじゃないのかなぁ。そう思うとがぜん力が入る。どうせやるなら賞を取らせてあげたい。彼はヨーロッパの大きなコンペで数々の賞を取っている。今年もダンス界のオスカーとも呼べる賞を受賞しているし、彼の意欲には恐れ入る。
2002年8月の日記
8月吉日、9月5日に使用する楽器を急遽日本から発送していただく。しかーし、案の定フランクフルトで保留。日曜の朝っぱらから電話がくる。すごい大声、偉そう。ったく、楽器だから爆発もしないし、何もしねぇからとっととハンブルグまで送ってくれ!!(もっと早くに発送してもらえれば、こんなに慌てなくてすんだ。すいません、出演するかどうか迷っていたもので。)本番まで間に合うのか??
8月吉日、デュッセルドルフまで単独で営業。行き先はまぁおおっぴらに言えないので、某企業でみんなが良く使う携帯に関わる仕事をしてる会社。 ハンブルグからドルトムントまでは座席は最悪。すげー汚れた車輌に煙草のケムリが。さすがにここまで吸われると俺も吸う気なくします。ドルトムントで乗り換えた後は快適そのもの。ガラスに囲まれた団体席をひとりで占領。ハンブルグを朝7時に出て、現地入りは10時半。ハァ〜それにしても個人的にどーもデュッセルドルフはピンと来ない。嫌いじゃないけど、な〜んか苦手。なんて思っていると早速訪れる会社と反対の市電に乗り込み、終点まで行ってしまうという大ミスをやらかす。ハァ〜、だから嫌なんだよな〜。運よくSバーン(列車)の駅を見つけ、キップも買わずに乗り込む。っと、こういう時にくるんだ〜キップ・チェックのおっさんが。バレると罰金を払わなきゃいけない。ぁぁぁ〜、も〜勘弁して下さいよ。こうなったら、観光客になりすますしかない。俺の顔をいかしてタイ人(よく間違えられます)のフリでいこう。英語もしゃべらんぞ。「キップあるか?見せなさい。」「はい」っていいながらかばんの中を全部出し、衣服もぜ〜んぶ調べて、アタフタアタフタやりながら、適当に言葉(意味不明)を発しながら、市電や列車のチケットを見せて、またアタフタやってると、ちょ〜ど良く駅に到着。「あるのはわかったから早く降りなさい」。うおおぉぉ〜あぶなー。。。持ってないと30ユーロとか平気で取られるんだよな。ドイツに観光にいらっしゃる方、悪い事は言いません、キップは買いましょう。でも、どうしてドイツには改札ないんだろう。みんなバンバンただで乗っている。ハァ〜、でも係のおじさんごめんない。結局1時間のロスを食いながらも何とか時間通りに会社に到着。約1時間半に渡るミーティングを通訳なし(英語)でこなしたので、頭がボーッとする。帰りは面倒くさくなってタクシーを拾う(ドイツ語で)。夕方4時半にデュッセルドルフを出発。あぁ〜やれやれと思っていて眠ろうかと思ったら、タイ人と思われるオカマちゃん二人組みがずーっとこっちを見ている。あぁ、だから俺は日本人です。顔は茶色いけど、日本人です。オカマちゃんでもありません。すいません。でも僕タイに友達います。タイカレーは大好物です。行ってみたいです。けど、寝させて下さい・・・。なんかどーもデュッセルドルフ方面は苦手です。どうすりゃいいんだ?
8月吉日、そういや隣のアパートの住人がフランクフルト・バレエ団のステージ・デザイナーだった。 嫁さんがバルコニーで花に水をあげているとお隣の奥さんと偶然挨拶、お互いの自己紹介をしてるうちにあちら側の旦那さんはフランクフルトバレエ団のデザイナー、僕は作曲家ということで意気投合(?)。早速デモCDなどを渡す(デモCDは常に焼いておくと良い事もある)。今迄の人生で一番速いプレゼンとなりました。ボスは当然巨匠ウイリアム氏ということで、聞いてくれると嬉しいな。
8月吉日、はじめてのベルリン。とにかくでかい。壁が崩壊してから10年、ひたすら巨大化しているものの、旧東側には違う建物や人々が住んでいる。中央駅が二つ、空港も二つある。中心部の風景がまるで東京に見える時すらある。郊外では札幌に見えることも。今も昔も東京には住めない、いや、住みたくないと思っていたが、ベルリンならいいと思った。まだ未完成な街だけど、とにかく「これから」という空気がものすごく伝わって来る。面白い事に西と東で建物のデザインや物の値段まで違う。今回ベルリンに行った理由はベンハルトとの録音がメインだった。4日間に渡るレコーディング。まぁ、うん、悪くない。ん〜〜でもあまり面白くなかった。いや、面白くないと言ったら失礼になる。楽しめなかったというべきか。インプロすることに疲れてきたのかもしれない。あぁ〜疲れていると言ったら嘘か、明らかに自分の耳の勘が鈍っている。疲労のせいか?いや違う。どの道、これって結局自分が悪い。1週間近くもベルリンにいて、結局こんな感情しか抱けない自分が情けない。良かったんです、飯食ったり酒飲んだりしたことなんかは。うまく話せない英語を駆使して以前よりも良く話せるようになったと思ったら、自分の本心と出て来る単語が一致しない。畜生、悔しい。いつも嫁さんにも迷惑かけっぱなし。まぁこれは自分の力不足だから、てめえで何とかすればいい。んー、人と音楽するってどういうことだろう?自分の長所は「まず、何でも受け入れる事」だと思っていたが結局それが大きな短所だった。人生って難しい。根は派手なんだけどなぁ〜(笑)。
8月吉日、自分の船で前へ進む事。いくら小さくたって自分の船で進む事。
8月吉日、今日は一泊だけの日程でコペンハーゲン(デンマーク)へ。ネザランドダンスシアターのヴァスラヴとハンブルグバレエのイリのデュオ公演視察(?)がメイン。実はステージ上で流す映像を端さんが急遽制作したので、それも見たかったのもあるし、来年のことで彼等といろいろと話したかったこともあった。何はともあれ二人いっぺんに会える機会なんかそうそうないからね。ハンブルグからは列車で4時間。途中列車は船に乗るんです(ほんとに)。行きの途中たまたま前に座っていたノルウェー人のご夫婦、僕のビデオカメラを見て唐突に話しかけてきた。まぁいろいろ話していたら何と音楽のオーガナイザーだった。なんて偶然。早速売込みしておきました。どうやら奥さんのいとこも音楽家で、今はロスでエレクトロニクス系の音楽をやっているらしい。しっかしどこで誰と知り合うかわかりませんね。
正午過ぎ、コペンハーゲンに到着。曇り空(あ〜あ)。中央駅にはたくさんの人。そうデンマークはユーロじゃないから換金しないといけない。ん〜どうやら物価は高く感じる。でも貨幣価値がさっぱりわからない。ガムひとつが6KR。ファミレスのランチが149KR。テレホンカードは100KR。毛皮のコートは6000KR。で、コーヒーは20KR。ねっ?いまいちピンと来ない。 ところでKRってなんて読むんだ?まぁ一日しかいないからいいけど。 驚きだったのはセブンイレブンがある事!!しかも24時間!!!もー、ハンブルグにも早く作りなさいっ!!!!もちろんおにぎりや弁当はないけど、日本人のコギャルとギャル男を発見。なんでこんなとこにいるわけ?(別にいいけど)しかもセブンイレブンに入り浸り。何か小さな店がダァーっと並んでいるし、すごいたくさんの人が歩いてるし、あーなんだか段々新宿に見えてきた。
まぁとにかく公演まで時間があるので、知人から教えてもらったとあるエリアへ。 そこには小さな入り口があって、小道を歩いていくと「写真撮影禁止」と書かれた看板がある。で、その境界線を越えるとそこには何とドラッグの露店が!!しかも1件や2件の話しじゃなくて何十件もある。そしてあやしい服店や飲み屋もある。これはエリアというよりひとつの街。どうやらここの主たちはこのエリアに住み、庭で大麻などのドラッグを栽培し、加工し、それらを売っているらしい。 撮影禁止ってことは国はこれを黙認している上で取り締まる事を放棄しているように思える。これはデンマークのように小さな国にしかできないことかもしれない。地元の人たちはそこを「Free Town」と呼んでいて、若者を中心に酒を飲んだりドラッグを買ったり、古着を買ったりしているようだ(もちろん俺はドラッグは買っていないから御心配なく)。
とにかく衝撃。コペンハーゲンってよくお皿やデザインやおしゃれな街のイメージだけど、これにもうひとつ別のイメージも追加された。 デンマーク人への印象は、税金が高いかわりに社会保証が安定していて、ドイツ人より精神的に余裕があるのか、とても穏やかで人に優しい。俺は勝手にもともと海賊の遺伝子を持っていて血の気が多いのかと思っていたんだけど、全然そんな事はありませんでした。
さぁフリータウンを抜けていよいよ公演会場へ、って全然雨がやまないなぁ、って会場着いたらゲッ!!!野外ステージじゃねーか。大丈夫なのか!?会場前で待つ事1時間。イリとヴァスラヴ自家用車で登場。ヴァスラヴとは昨年の岩見沢以来の再会。会うなり「オッツカレサマデ〜ス」。おっ、昨年教えたらほんとにその日本語使ってる! そう、日本の業界では常識単語なのです。でも「デ〜ス」じゃなくて「デスッ」!「オッツ」じゃなくて「オツ、オツカレ」なんてやっている間も雨は止まない。でもまぁイリは晴れ男だし大丈夫でしょ。とにかく開演を待つ事に。
20時、お客さんが集まりはじめる。今夜はプレミア公演、客の全ては招待ということでマスコミなんかも多く来ている。そうそう遅れちゃったけど、この会場は普段は獣医のための学校で、学校が空く夏休みを利用して毎年コンテンポラリーダンスのイベントをやっている。 だいぶ定着しているイベントのようだ。雨も止み始めたし、いい感じ。スタッフもとても優しい人たちで、仕事もテキパキ。この間にもステージ上の水をモップでせっせと取り除く。ステージも渇いてきたし、いよいよ定時スタートーゥ!!!ってはしゃいだ瞬間、すごい雷音と共に豪雨が会場全体を叩きつける。あ〜ぁぁぁ一番恐れた事が・・・。スタッフはステージ上でモップをもったまま、おじぎで御挨拶。おいおい客拍手してんじゃねーよ。えぇー、どーいう事よ!?ハンブルグから来たんだよー、しかも翌日帰らなきゃいけない。早速舞台裏へ行ったら一番落ち込んでいたのはスタッフと出演者たち。そらそうだよな。ヴァスラヴもこんな状況で中止を経験したのははじめて。スタッフのチーフは日本語で「サイアク、サイアク」を連発(吹き込みは俺)。イリ、こうなったら飲みに行くぞ!って言ったらレセプションパーティー(客を招待しての打ち上げ)は予定通りやるとの事。
はぁ〜とりあえずタダ酒タダ飯で我慢しましょ。あ〜でもダンスも当然だけど、端さんの映像も見たかったな〜。 とにかくこの場は俺もしゃべりまくろう。普段の何倍も英語で話す。イリとヴァスラヴとはしゃいでいるうちに段々悔しさも解消され、調子に乗ってもう一件!結局夜中2時近くまで飲み明かし、ふたりが滞在するアパートへ。もともとここに泊まる予定だったが、すごい部屋数。あ〜、まぁ来てよかったか、何より二人に会えたし話せたし、来年の話しもいろいろ出来たし。ヴァスラヴ、今度はオランダに見に行きます。 イリ、帰ってきたら寿司パーティーね。とにかく呼んでくれてありがとう!!翌朝は朝早く起きて二人と別れて一路ハンブルグへ。コペンハーゲンから離れれば離れるほど天気が良くなってくる。なんだよ、行きの時は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ばりの重い景色だったくせに。 夕方ハンブルグ到着。快晴、そして高温。翌日高熱。
2002年7月の日記
7月吉日、今月ももうあと1日。早いものだ。よく、初めて会う人に「なんでドイツに来たんだ?」って聞かれる事がある。なんでかなぁ、これは直感でしかない。「ドイツに来なければいけないと思った」と言ったら大袈裟かもしれないけど、そんな気がしたから来た。札幌にいた時には色んな経験をするために色んな我慢もした。どんな悪条件の仕事でもやってきたつもりだし、いくら安いギャラでも納品まで責任をもって仕事をした。そんな生活に疲れたからというわけではない。自分の音楽活動が繰り返しになったから、札幌を出た。繰り返しとは発展もなく漂っていくだけ。いくら周りに刺激を与えようと努力しても繰り返しというループの中に入ってしまったら現状打破は難しい。プロの音楽家として「仕事」の中で妥協する(生活のためとか)ことはあっても、プロの音楽家としての「人生」に妥協するわけにはいかなかった。あと、いつまでも同じブレインの中にいたら、一向に若手が育たないと思ったこともひとつの理由。僕よりも優秀な音楽家は札幌の中にもたくさんいる訳で、いつまでも同じ音楽家が同じダンサーの音楽を作ったり、同じブレインの中で活動し合っては、これからの世代のためにならないのではないか。馴れ合いの果てには何も残らないのではないか。そう思うといてもたってもいられなくなって、半ば飛び出すように札幌を離れてしまった。これまでの活動の流れに一度距離を置く方が自分自身の成長のためにも、周りのためにも良いのではないかと思っている(もちろん、周りへの感謝の気持ちは忘れずにね)。だから「なぜドイツに来たのか」を考える以前に「ドイツでいま何をすべきか」ということしか念頭にない。ドイツに来た理由は、僕の活動を見せていくことでしか答えていくことができない。今年もとうに半分を切っている。ウダウダ考えていても、時間はいまも過ぎている。悩み、不安、失敗、批難、失望、落胆、挫折、後悔、グダグダ、妬み。そんなものが恐くて前に進めるか!
7月吉日、久々の晴れ。暑い。夕方からMaximilianという若い音楽家と遊びのセッション。彼は808やMPC3000を使ってリズムを作り、僕はそれに音を足していくというシンプルなもの。まぁ面白かったんだけど、んーどうなんだ?これってセッションなの?彼は最近僕が作った新作を聞いてくれて、リズムがないのを不思議がっていた(他の人にも言われるけど)。やはりヨーロッパの人に対して思うのはそこだよね。リズム・ハーモニー・メロディのうちどれかが欠けると音楽として未完成だと認識してしまう耳を持っている。 どうしても音の隙間を埋めたくなる。昔は自分もそうだったけど、今はやっとそこから抜けられた感じがする。「ビートがない=音楽的ではない」と言うと極論だけど、そんな印象を受けてしまう。ハーモニーやメロディもそう。「欠ける」ってことは必ずしもマイナスにはならないと思う。今は音を足していくより引いていく時の方に魅力を感じる。もっと言うと、音を出さない時に表現を感じる(なんていうとケージみたいだな)。沈黙があるから音がある。静寂があるから小さな音も聴こえる。クラブの大きな音に慣れてしまった人たちの耳から無縁な存在でありたい、と思う。
7月吉日、夜12時CAIメンバーと共に港にあるイベント会場へ。マリオンが仕入れた情報で使われなくなった倉庫をイベント用に貸しているらしい。車中ドイツ語、英語、日本語がとびかう中、早速会場へ。ものすごく大きな会場にはいくつもプロジェクターがあってバルコニー(?)にはプール付き。かなりのお金持ちが企画したのか客層もそんな感じ。音楽はクラフトワークっぽいテクノやエレクトロ。んー悪くはないけど、決して面白くもない。ハンブルグのこういうシーンってお世辞にも進んでるとは言えない。そういえばアンダーグランドなんて言葉もあったっけ。今は別にアングラでも何でもないでしょ、みんな知ってるし。音楽も何十年もたいして変わってないわけだし。いつしかステロタイプ。やっぱり俺はしらふの人たちの前でやりたいなぁ。みんなも似たような感想。何か他にやりようがあるイベント内容だった。
7月吉日、エルベトナールのヤンとリミックスの打ち合わせ。彼のスタジオでどの曲にするか選ばせてもらった。リミックス(といってもダンスミュージックではなく)は初めての経験なので作業が楽しみ。ヤンは明日ドイツのポップスのレコーディングでティンパニーを叩くらしい。彼曰く「レコード会社の人間はうさん臭くて嫌だ」。手帳持ってなんかセーターみたいの羽織って「ヤンちゃ〜ん、最近ドゥー?」なんて言われんのか?って聞いたら「日本はそうなのか?」って言われた。さすがにそこまでの人はいないだろうけど、まぁ、この問題はどの国も同じらしい。
7月吉日、先日はデュッセルドルフへ。列車で4時間、そこまで行くともうオランダは目の前(オランダにも営業行かなきゃ)。日本人が多いところだとは聞いていたが、ちょーっとこれは多すぎ。んー物もたくさんあって良い街なんだけど、やっぱりハンブルグが好きです。何故かわかんないけど。いろいろ見ようと思ったけれど、結局日帰り。
ここ最近は新作の制作に着手。今の自分の視点でピアノに焦点を当ててみようと思っている。ここ数年ピアノとは付かず離れずで微妙な距離を取っていた。今でも自分の事をピアノ弾きだとは思っていない。しかもドイツに来るにあたってほとんどの楽器や機材を処分し、まともに鍵盤には触れてもいなかった。もちろんピアノを使って古典をやろうなどとは思わない。どのみちピアノは下手クソだし。僕の音楽の出発点は西洋音楽の世界から逸脱したいという欲求から始まっている。その考えはしばらく変わらないだろう。どんな音楽になるかは結果を見ないとわからないが、新作のことを頭に思い描くことは何度経験してもワクワクするものだ。
7月吉日、アーティストのヨセフ氏と、彼の奥様も同然のウタさんと我ら夫婦でIKEAに。うちの嫁さんはしゃぎすぎ。ウタさん車とばしすぎ。ヨセフはもともとフランス出身なんだけど最近はめっきりドイツ語がうまくなっちゃって、アフリカの血が入ってるという、とても面白くていい奴。あまり自分の過去は語らない男で風の噂じゃ、パリではすごい存在だったらしい。英語は僕といい勝負。僕らがこっちへ来てからすっかりダチです。何故だろう。突然友人になることってたま〜にあるけど。これは言葉じゃわからないもんです、感じるもんです。それにしても、買い物の時って男の女の買い物の仕方に気付かされる。男ってこういう時いくら重くても、疲れていても黙ってついて行くしかない。これが男。それにしてもIKEAはでかすぎます。天井高すぎです。誰も届きません。
7月吉日、本日は某映像系の会社へひとりで売込み。英語だけで何とか乗り切る。いくつかの重要な情報もいただいた。音楽もとても気に入ってもらえた。担当の人はスキンヘッドが良く似合う格好のいい人。おだやかな口調がセンスの良さを物語っている。これから良い付き合いになりそうだ。やはり日本語だろうと英語だろうと営業とはワクワクして楽しいものだ。何ごともやってみなくちゃわからない。 でも、いい加減ドイツ語もやらなきゃな。
7月吉日、パーカッショングループ、エルベトナールのヤンから彼等の作品のリミックスの依頼。彼等は次のステップとして大口のレコード会社との契約を狙っているようで、今回のリミックスもその一貫、最新のアルバムに収録される。 良い事だ。やりましょう。
7月吉日、ついにアーティストビザを取得。準備当初からその存在すらあやふやだったそのビザ。係の人も「異例」だと言っていたように、ハンブルグでは初かもしれないビザ取得。こんな奇蹟を起こせたのは日本側とハンブルグのたくさんのアーティストやミュージシャン、ダンサー仲間からの推薦状があったからです。 本当に心から感謝です。ありがとうございました!!!!そして、一緒について来てくれたマリオンありがとう。
7月吉日、無事新しい部屋へ引っ越し。偶然にもイリと同じストリート。なーんか変な縁だ。新しい部屋はちゃんと仕事部屋があって、ネットもデジタルでビデオはNTSCとPALの両方に対応。誰か「ガキの使い〜」送って下さい。さぁ、稼がないとね。
2002年6月の日記
6月吉日、つい最近オープンしたCAIハンブルグの初の個展「植田陸雄"wind drawing」がスタート。不思議なもんで僕がハンブルグに来たのと、CAIがハンブルグにも拠点をおいたのは全く同時期。僕もそんなことは知らなかった。本当に縁とは不思議です。で、今回はそのオープニングで演奏するというもの。ただ演奏するのではなく、植田さんの作品"wind score"に音をつけるという内容だ。久しぶりに明るい場所での演奏。緊張はしないが、客の反応が気になる。iBookと小型サンプラーのみを使った割と静かな演奏が終わると、たくさんの拍手。はぁ〜良かった。何とかやっていけそうな気がした。
6月吉日、ワールドカップで盛り上がるのはいいんだけど、イタリア、スペイン、ポルトガルが韓国に負けたからって、道で俺に煙草投げなくもいいんじゃない?俺のせいじゃないから、今回の欧州の不甲斐なさは。確かに俺も無類のサッカーファンですわ、20年も前から。でもさぁ〜勘弁してよ、こういう時だけ民族主義者になるのは。しょーがないでしょ、世界的に技術が平均化してるんだから。ヨーロッパの大国が強いなんてのは幻想。だいたいあんたら代表選手と知り合いなのか?あんたらに代表選手のように戦えるのか?ロシアが日本に負けたからってなんでモスクワの日本料理屋が襲撃されんのよ。韓国人だってハンブルグの町中で国旗かかげてガンガン変な音楽流してさ、日曜の朝っぱらから迷惑考えろっての。トルコの方、ケバブくらいフツーに売ってちょうだい。腹減ってんの。日本人もそうとう暴れたみたいだね。チケット取れなくてどなりこんでいったニュースは見た。ぬあぁぁー全く、フツーに応援しましょう。サッカーとは国際的で紳士なスポーツです。
6月吉日、自宅からすぐ近くの教会で パーカッショングループ、エルベトナールと、なんと岩見沢で共演したエバソング・カルテット(ブルガリアン・ボイス)のライブが行われた。お互いの曲とセッションという内容で結果はもちろん大成功。終了後挨拶に行ったら、エバのリーダーに「なんでいるの??」という第一声。失礼な。「いるというか、住んでるんだわ」というと「あーそうなんだ」と呆気無いリアクション。相変わらずサバサバしてんのね。というか彼女たちは英語が話せないからあーなのか。それにしても自宅のすぐ近くでエバと会うなんて寄寓も寄寓。これで岩見沢の時のメンバーにはほとんど会ってしまったという事になる。エルベトナールのヤンからは「今度いっしょに教会でライブやるぞ」とお誘いが。もちろんやりますよ。若いのにホント商売うまいよね。
6月吉日、ラトビアという国(知ってます?たぶんロシアから独立して10年くらいしか経っていない)のクリエイター集団からコンタクト。以前僕がサイトを見てそのセンスに驚いてメールを送っていて、その返事が来たのだ。すでに音も送っていたのだが、かなり良い反応。これからどんな関わり方をするのかわからないが、何かいっしょにできそうな気がする。
6月吉日、ハンブルグバレエのイリとオットー兄弟と共にフランクフルトバレエ団の公演を観戦。ハンブルグバレエと比べかならコンテンポラリーな手法で、素晴らしい演目が続く。最後の総勢30人のダンサーが大量に並べられた机を使った演目では、思わず大興奮。公演終了後、舞台裏に案内されて今回の振付家と挨拶。ちゃっかりデモCDを渡す(CDは常に持ち歩いていると良い事もある)。イリは彼自身をさしおいてまず僕から紹介してくれた。ありがとね。
この公演が行われたのはカンプナーゲルというハンブルグで最も先鋭的な小屋。来年、イリのソロ公演をやろうという計画がある。もちろん新曲を作って。今からプレゼンしなきゃね。とにかくこっちの小屋は審査が厳しい。小屋に金さえ払えばやらせてくれるわけではない。下手なもんは門前払いされる。たとえそれがスターのイリだとしてもだ。だからやる方も小屋側も真剣。でも本来はこうなんだろうな。ただ何も考えずにやればいいってもんでもない。だって客からはお金をもらうんだから。自己満足は通らない。当然のシステムかもね。帰り道ハンブルグバレエの服部君とバッタリ。フランクフルトバレエ公演に冷静な批評。むむっ、プロの意見。ところでハンブルグバレエの公演の中で服部君の人気は物凄いんです。ほんとに凄いです。小さい体なのに存在が凄いんです。公演終了後の彼への拍手が違います。でもまだ21歳です。13歳でハンブルグに来てます。あ〜見習わないとなぁ、俺ももっと頑張らないとなぁ〜〜。
2002年5月の日記
5月吉日、結局、大家が逆ギレ。これ以後大家との仲が急激に悪くなる。会えばイヤミばかり言われる。アパート自体の空気も悪い。話し合いを持っても何の意味も持たず。全然吉日じゃない。早速新しい物件探しへ。日本の事情とは違い、こっちの人は物件の事でよくもめる。管理体制も日本と比べ甘い。ま、どのみち契約期間が短かかったから良かったんだけど。
5月吉日、大家が勝手に鍵を開けて入ってくる(!!!)。絶句。いくら84歳とはいえ、これはどうかと。
5月吉日、唐突だがドイツの現在の音楽シーンはつまらない。まぁテクノが好きな人にとっては面白さも感じるんだろうけど(ていうかつまらんトランスばっかり)。R&Bだってそう。何も世界中で同じシーンで盛り上がらなくても・・・と思う。インプロの音楽もそう。かなりいい加減に演奏してる連中もいて、ハンブルグでは「インプロ」はどちらかというと悪いイメージが強い。客もあまり来ない。もっと建設的にもっと実験的にもっと意欲的にやっている人なんてほんの一握り。というより「実験的」って言葉はこっちじゃイコール「頭のおかしい」という意味になっている。いくらアングラでも質というものがある。これは早目になんとかせんと。たとえ微力でも何かここで出来ることがあるはずだ。
5月吉日、イマキュレート・コンセプトに参加した皆さん大集合。バレエ団とミュージシャン、ゲストの方々を交えて「ボレロ2」プロジェクター観戦。でも本番のよりもリハとか皆のおふざけVTRに注目が。あの、岩見沢本番終了後の感動は参加者全員の宝物。だからもしも今度やる時はあれを越えないといけない。でもこれだけの人が集うと圧巻。同じ街に住んでいてもなかなか会えないよね。札幌の時もそうだったし。ところでイリさんいい加減俺の年齢覚えてね。あなたと同級生だからって10回くらい言ってるんだけど。しかし日本人って本当に子供に見られます。とうとうアメリカじゃ酒売ってくれなかったっていう友人もいるくらい。ま、うちらも西洋人の歳なんて見た目でわからないか。
5月4日、先日はまたハンブルグバレエの公演を見に行く。シルビアとザーシャ主役の「ジゼル」。例によって本人よりチケット取得。完璧なステージングに呆気にとられる。やっぱ違うわ、トップダンサーは。終了後楽屋に行ったらシルビアの体の小さいこと。でもステージじゃ人一倍大きく見えるんだよなー。
2002年4月の日記
4月吉日、こっちへ来て1週間ほどで制作の仕事を開始。精神的に安定してきたのか1日で一気に仕上げる。仕事をしたくなるのはたいがい曇っている日。晴れた日なんか仕事なんかできないねー。こっちは曇りが普通の天気だから晴れるとみんなテンションが高い。こんな快晴の日に自宅近くのアルスター湖へ行くと、もの凄い人数で日なたぼっこしてる。はじめて知ったけど、ハンブルグにも桜が咲くんです、母さん。
4月吉日、ベンハルトのサポートのおかけでハンブルグにも詳しくなってきた。この日はハンブルグバレエ団の公演を見に行った。チケットは地元でもなかなか手に入らないほどの人気。だが踊っている本人からチケットをもらう。家から国立劇場まではかなり近い。なのにタクシーに乗りその上遠回りされた。日本人ってこういう時不便だ。金なんか持ってねーよ。 公演は4つの演目。クラシカルなものから段々とコンテンポラリーなものへ。シルビアとサーシャは本当に素晴らしい。なんであんな体型なんだ??イリやペーターが出演していたステージでは少々笑ってしまう。踊りは当然素晴らしい!!でも特にペーター、あんなに上品そうに振る舞っているが普段はとんでもなくはしゃぎすぎ。でかい子供。かなり天然ぽいし。そのギャップを想像しては思わず心の中でニンヤリしていた。
4月吉日、しばらくヘルガの部屋にお世話になっていたが、彼女も近々引越すし、バスタブ取っちゃったし、あまり長居はできないということで早速物件探しへ。あらかじめ日本でコンタクトを取っていた不動産屋へ連絡を取り、部屋を見に行く。そこがまたいい地区。近くにはイタリアやフランスの領事館があり治安も良く、静かで自然も多い。我らはすぐにここに決めた。部屋は家具付き、タオルや食器や掃除機まで付いている。ちなみにハンブルグの物件は何も付いていないのが当たり前でキッチンやバスタブまで自分で付けなきゃいけないらしい。これはラッキー。しかも水道と暖房費は家賃に含まれているし。初日自分たちで調達したのはトイレットペーパーだけだった。相変わらずスーパーへ行ってもドイツ語が解読できず。
2002年4月8日、無事ハンブルグへ到着。浜頓別からどのくらいの移動距離だったろう。ホントに遠い。アムステルダムの空港では若干の手違いがあって飛行機が飛ばない状況になったが、パイロットが猛スピードでとばし、予定より30分くらいの遅れですんだ。ハンブルグ空港では出口の直前で係員に荷物チェックを受けるハメになった。たぶん物好きの奴なんだろうなー。荷物を開けるのを面白がってやがる。小さなサンプラーを手に取って「これは何だ?」と聞かれたから「サンプラー、楽器だよ」と言ったら、???て顔してる。わかんないなら聞くな!出口じゃみんな待ってるんだから、勘弁して下さい。無事出口へ出たらびっくり。予想よりものすごい多い出迎えの友人たちが。ベンハルトはベルリンからわざわざ来てくれて、エルベトナールのヤンも、ソプラノのヘルガも、ハンブルグバレエのシルビアとサーシャまでいる(プリンシバルがこんなとこ来てていいの?)。とにかく嬉しい!それまでの疲労が一気に吹き飛ぶ。早速皆でBARへ、ビールで乾杯する。それにしてもドイツ語はさっぱりわかりません。
2002年3月の日記
2002年3月24日
我が家の中は壮絶そのもの。それでも昨日は石井さん(UHB)のお宅へおじゃま。夜7時から朝3時まで飲んでました。あー、でも飲み過ぎ!でも吉住さん(旦那さん)ともひっさびさに飲めたし、占いの雷門先生が本当に遊びに来てくださったし、石井さんの妹さんともご対面 できたし、何も言うことありません。 楽しかった!!石井さんのお母さん、遅くまでごめんなさい。でも石井さんのお母さんと雷門先生が同じ中学だったとは・・・。すごい偶然。本当に楽しかったです。ありがとうございました。
それにしても片付かないなぁ〜、家の中。かなり物は捨ててるんだけど。
2002年3月22日
昨日はiBookのメモリを増設。滅多に入荷されない安いメモリに運良く当り、384MBに。
また、ほとんどの機材を売りに出す。まさか5万をきるとはね〜。あの頃買ったのは何だったんでしょう。
ここ数日は部屋の整理に追われ、風呂場が唯一の休息の場。
2002年3月19日
昨日は札幌最後の演奏。尊敬する宝示戸さんとのデュオ。満員のお客さんの前で頭は白紙状態。宝示戸さんの素晴らしい演奏を聞きながら、また札幌での約10年間の活動を振り返りながら音を出していった。例のごとく本番の事はほどんど覚えていない。うまくいったかどうかはわからない。でも心地良く演奏できたことは確か。
自分の音楽活動の中で、「即興演奏」という行為は非常に重要な位置でした。そのことを気付かせてくれたのはNMAのイベントを通 じててあり、特に主宰の沼山さん、そして宝示戸さんには感謝してもしきれない程、お世話になりました。そしてワークショップを通 じて知り合った多くの演奏家の皆さんとの出会いは、一生の財産になりました。本当にありがとうございました。恩返しの気持ちを込めて再び札幌で演奏できる様、日々精進したいと思います。
また、平日にもかかわらずたくさんの方にお越しいただいて本当に嬉しかったです。ありがとうございました!!!
これから移住に向けて本格的な準備に入りますが、引越しの準備はとっとと終わらせて皆さんの所へ顔を出せるように、頑張ります。 それでは、本当にありがとうございました!!!!!!!!!!!
2002年3月15日
CD100枚終了!これで制作ものの仕事は一段落。あとは18日のライブに備えて、その後は一気に部屋を片付けるのみ。でも日本を離れる前に会いたい人もたくさんいるし、することもまだまだ山積み。まずい。4月に芸森で開かれる展覧会の準備が全然進んでいない。端さんどうしよう〜。
気が着けば3月も残り半分。あと2週間しか札幌にいられないでないの。あー頭がパンクしそう。嫁よ、頑張るぞ。
明日、あさっては富良野へ向かう。
2002年3月12日
しゅーーりょーーー。
さ、次はCD100枚作らなきゃ。
2002年3月10日
かなり進んだけど、今日も徹夜だな。
2002年3月9日
今日も怒濤の制作。気が付けば明日はもう10日。やばい。残り13曲。あと1日でどこまで進むのか。
2002年3月7日
相変わらず仕事は延々と続く。10日になってしまう前にきれいにしたい。
今日は経専の卒業式。式の主役はもちろん生徒だが、僕にとっても本当の意味での卒業式。学生の頃もいれたら9年もの間経専に通 っていたことになる。講師としては約7年。振り返ればあっという間だった。生徒だった頃よりも講師をやっていた時の方が勉強になった。この7年でわかった事は生徒には「教える」のではなく「教えられる」ということ。結局生徒から学ぶ事の方が多かった。あと講師には不向きという事がわかったことだけでも収穫だった(笑)。
かつて学生の頃、卒業式を迎えてもちっとも終止感がなかった。それは今日でも同じ。本格的に音楽活動をはじめて約13年、やっとスタートラインに立った気がする。 全てが通過点でしかない。僕の音楽家としての活動は、まだまだこれから。
内部職員の諸先生、外部講師の諸先生方には、約9年もの間本当に本当にお世話になりました。ありがとうございました!!
卒業式終了後は、長沢公平君の自宅へ。ようやく公平のお母さんにも挨拶をすることができました。 自宅へおじゃまするのははじめて。ちょっとちょっと、いい家ではないですか。公平の部屋も広い!そして静か!これは作曲には良い環境。経専卒でメジャーデビューしたのは唯一彼一人ですが、ま、あまり無理をしないで、作りたい音楽をひたすら作ってほしいです。これからもいつでも相談にのるよ!久々にゆっくり話し、飲むことができて良かった良かった。本当にありがとうね。こういう若者に接していると、講師やってて良かったなと思います。
ということで今日は全く仕事はできませんでしたが、充実した一日でした。明日からはまた鬼の制作か・・・。
2002年3月2日
次々と仕事を終わらせていくも、ちっとも進んだ気がしない。頭の中では制作すべきBGMがグルグル回る。
1日が早い。明日は世間は日曜日らしい。
2002年3月1日
今日から3月!札幌にいられるのも残り1か月となってしまった。しかも、この1週間で45曲を作らなくてはならない(笑)。 残っている仕事は3月前半で全て片付けることにした。なので1日も無駄にできない。ここに引越してから2年、一度も落着いたことがない気がする。たぶんまだ走れってことなんでしょう。
さてこのサイト、やはりこのままの状態での維持が難しくなりそうです。特にBBSと音の試聴&購入コーナーは落着くまで一時休止せざるを得ないです。しかも、もしかしたらHPアドレスまで変わるかも・・・。しかし、このデザインはそのままで日記や近況報告などは必ず行いますので、今月はこまめにチェックしていて下さい。
それでは、仕事に戻ります!
2002年2月の日記
2002年2月27日
26日コンカリーニョ本番当日。午後5時より軽いリハを行う。会場に入ると客席とステージの位 置が逆になっていた。これは岩下さんのアイディアでコンカリでもはじめてのことらしい。明らかにいつもと空気が違う。いつもは会場奥の右にいることが多く、ある種のやりにくさを感じていたのだが、この日は反対に穏やかな空気でやりやすい。ついついリハでちょっと本気を出してしまった。30分のリハの終え、あとは開場を待つだけ。19時開場。すでに5分前からお客さんが入りはじめる。その後もあとからあとからお客さんが・・・。さすがは岩下さん。人気があるんだなぁーなどと感心していたが、あとで聞いたら「畑中券」も残り3枚まで売れていた。 19時30分すぎ、おそらく120人はいるであろう会場で本番開始。僕はいつもの通り前説から胃が痛い。貧乏ゆすりが止まらない。まだ何もしてないのに肩がこる。全くこの気の小ささには自分でもあきれてしまう。音を出せば落着くんだけど。・・・演奏中のことは殆ど覚えていない。断片的には覚えているが、具体的には何をしていたのか、さっぱり。結構いろいろ音を出していたらしいが。たいがいこういう時の演奏はよく人から誉めていただく。自分で覚えている演奏の時ほど、反省点ばかり。今回は反省点はあまりなかった。とにかく面 白かった。気持ちよかった。終わったあともすがすがしかった。岩下さんも杉吉さんも僕も、考え方はそれぞれだけど、少なくとも本番中は1つになっていたと思う。
とにかく、コンカリーニョの高橋さんには感謝です。これだけの貴重な機会をいただいた事は、大きな喜びです。即興って面 白いものだと改めて思いました。本当にありがとうございました。わざわざ会場にお越しいただいた多くの方にも心から感謝致します。また岩下さんと杉吉さんに出会えたことを本当に嬉しく思っています。ありがとうございました。そして細かいところまで面 倒を見てくれた家の奥様、ありがとう。本番中に岩下さんと絡んでいたとは(笑)。ちょっとびっくりした。
実はこの日、NMAの沼山さんよりメールをいただきました。3月中に壮行会の意味も含めてNMA企画で最後のライブをしないかという内容でした。しかもピアニストの宝示戸さんとDUO というライブ構成。・・・コンカリで最後と思って演奏に望んでいたところに、願ってもいないお話でした。もちろん引き受けました。3月は移住の準備で大忙しなのですが、沼山さんの暖かいご好意を受けないわけにはいきません。僕の即興演奏の原点はNMAでの経験からスタートしたのですから。しかも大変お世話になった宝示戸さんとのDUO。今から武者震いがします。ですからコンカリが最後です、と告知がいってしまった方、本当に申し訳ありません。このライブに関する詳細は当サイトでもお知らせ致します。
2002年2月25日
22日、新冠入り。レコード館へ向かう。想像していたより数倍も大きく、新しい会館で名前の通 りレコードがぎっしりつまった施設の中では常に人が出入りし、ずーっと昔のレコードを聞きあさっている人や、コンピュータに向かっている人もいた。この町にはかなりマニアックな人が多いらしい。早速楽器を手に控え室へ。と、ここもまた広い。まるでホテルの一室。ちゃんとシャワーなども完備されていた。何と贅沢な。こんな扱いはしばらくないな、きっと。この日は夕方に楽器のセッティングと回線チェックだけを行い、踊りの岩下さんと絵の杉吉さんともはじめてきちんと御挨拶。その後は、皆で温泉〜!レコード館から車で5分くらいの「レコードの湯」へ。ここがまた立派。以前岩見沢のイベントで泊めていただいたメイプルロッジによく似ている。 温泉から戻った後はまるで打ち上げかのような飲み会に突入。地元の方も交えて、自分も普段飲まない量 を飲んだ。つまみのとばが、旨い。所謂本物、漁師さんの手作り。自分も浜育ちだがこんな旨いのは久しぶり。ちょっと食べ過ぎて胃が痛くなる。
23日、4時から一度リハーサル。といっても本番は即興なので自分の中ではウォーミングアップ。でも岩下さんはそういう訳にはいかない。かなりの汗をかいていた。杉吉さんは5枚程度の絵を書いて終了。6時会場。何度やっても本番前は苦手。かなり落着かない。今回はステージを使わずに本来客席であるスペースを使っての会場作り。お客さんも子供からお年寄りまでかなり幅がある。こういう踊りと絵と音のパフォーマンスなんて札幌でもほとんどやる機会がないのに、それでもお客さんが入るのもこの町のすごいところ。6時45分、前説の後本番開始。事前説明で「きちんと見ようとせず、リラックスして見て下さい。移動しながら見てもいいし、お子さんが騒いだり笑ったりしても構いません」と言っていたので、会場は札幌ではりつめた中でやるのとは全く違う空気。特に子供は純粋。面 白ければ笑うし、恐ければ恐がるし、綺麗なところはきちんと見る。僕は岩下さんの踊りのスピードと切り替えについていくのがとにかく面 白かった。こんな舞踏家の方とやらせていただく機会はそう滅多にない。全てが即興、僕のコンピュータも時々暴走し変な音が出たりする。こういう時は自分の中でも乗ってくる。でも今回は無音部分もかなり多く、自分でも珍しい演奏になった。対角線上には杉吉さんがもの凄いオーラを出して墨絵を書く。約1分に一枚のペース。うちの嫁さんも手伝って、書き上げていく絵を会場内にランダムに配置していく。約45分の公演が終了後、何だかわからない感じだったお客さんから拍手がおこる。結局内容が良ければどんなスタイルでも受け入れられるものなのかと思った。 本当に良い経験になった。公演終了後はお客さんとのトークを行ったが、3人とも頭がボーっとしていたのでよく覚えていない(笑)。その後の打ち上げは食べ物も飲み物も前日の数倍。まさか日本を離れる前にこんなに海産物が食えるとはね〜。翌日は新冠を離れる前に本番に書き上げた杉吉さんの絵を見に行く。これが本当に面 白い。これは実際に会場で見ないとわかりません。
明日はいよいよ僕にとって大きな区切りとなるパフォーマンス。しかも演奏するのが極めて難しいコンカリーニョ。普段の力が出せるように、岩下さんと杉吉さんに負けない音が出せればいいなと思ってます。当日来られるという方は「畑中の紹介で」と一声受付に言って下さい。前売り料金で10席は空きがあります!あと、会場ではおそらく最初で最後のCD販売もします。それでは、明日会場で御会いしましょう!!おやすみなさい!
2002年2月22日
ここ数日は慌ただしい。移住に向けての準備と仕事が山積み。今は芸術家の古幡さんの作品の音響制作をメールをやりとりで行っている。鐘(鈴?)の音をサンプリングし、デモの音をEメールで送って聞いてもらい、煮詰めていく。古幡さんはいま埼玉 にいるのだが、それでもほとんどタイムラグもストレスもなく作業が出来る。やはりインターネットでのやりとりは便利。これは海外に行っても役に立ちそうだ。夜は端さんに会い、移住の事を話し合った。とにかく僕らは先に乗り込んで待ってます!
明日は新冠町へ。23日はそこで演奏する予定。26日に共演する岩下徹さんともはじめてきちんとお話しすることになる(笑)。 天気が良ければいいんだけど。
2002年2月18日
突然ですが、お知らせです。
我ら畑中夫妻はドイツへ移住することとなりました。早ければ4月、遅くても5月という日程です。
いつかはこういう日が来るだろうと2人では思っていました。僕も数年間さんざん悩んでいたことで、今回の決心も悩んで悩んで悩んだ結果 、きっと今しかないだろうという考えに達しました。僕としては、自分たちのことよりも、お互いの両親の気持ちが何より気掛かりでした。特に僕はひとりっ子、これまでも心配ばかりかけてきた上に、海外へ移住などという行為はある種タブーなことでした。畑中家の長男として両親へ余計な迷惑や心配をかけずに生きて行くことは、人間として当たり前のことなのは自分でもよくわかっています。しかし、音楽家としての自分を考えた時、このままでは終わる事ができない自分がいたことも事実でした。
今まで慣れ親しんだこの札幌という街でたくさんの経験をしてきました。友人や仕事仲間にも恵まれ、良き理解者、ご指導いただいた諸先輩の皆さん。皆僕にとってかけがいのない人達ばかりです。間違いなく一生の財産です。
日本を離れて、違う環境で一からやり直すことがどれだけたいへんかは、わかっています。 日本で身を切る思いで活動してきた苦労もたくさん味わいました。でも、僕は再び苦しい道を選びました。でも僕はその苦しい道の先にある何百倍もの喜びも知っているつもりです。そのことは妻もよくわかっています。むしろ僕なんかよりも、知らない土地に飛び込む苦労と喜びは経験してきています。
とにかく、挑戦です。僕はヨーロッパで作曲家として日々精進を重ね、 全力で妻を守ります。そして日本に帰ってきた時にはお世話になった全ての人と、お互いの両親へ、そして妻へ恩返しをしたいと思います。
そしてドイツでの日々を真剣に過ごし、その結果をみなさんにお知らせしたいと思います。
はじめは、日本の仕事をドイツでこなしながらの二足わらじになると思いますが、この街でお世話になった全ての方にこの場を借りて心からお礼を申し上げます。本当に、本当にありがとうございました。そしてこれからも僕達2人のことをよろしくお願いします。残念ながら、今月26日に行うコンカリーニョでの演奏が最後になってしまいました。しばらく札幌で演奏できなくなるのは寂しいことです。 きっと演奏中は気が散ってしまいそうですが、頑張ります。会場でみなさんに音でご挨拶できることを楽しみに待っています。時間のある方は是非お越し下さい!
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